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コラム

四苦ハック人生 in Sanfrancisco

野球少年が絵画に出会い、ピクサーのアートディレクターに。そして独立。アカデミー賞ノミネート監督、堤大介さんに聞く。

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騙されて絵画の道へ!?

川島:絵を描くことは、コミュニティーカレッジで学ばれたのですか?

堤:最初は英語ができないからという理由で、消去法で絵のクラスを取っていました。もちろん小さい頃から絵を描くことは好きだったけど、まさか絵を描くことを職業にしようとは全く思ってなかった。アメリカって、すぐに褒めるカルチャーですよね。僕が取っていたクラスでも周りの人が絵をすごく褒めてくれて、それで自分に絵の才能があるんじゃないかって騙された(笑)。それで絵の道にどんどんのめり込んでいった。

それまでは下手だったけど野球一筋。そういう風に、ただ好きなことをとことんやるっていう性格でした。それが野球から、すぱっと絵に変わっていった。もちろん自分は周りよりも下手だったけど、割とすんなりと絵の方向にトランジションできた。

川島:二年制のコミュニティーカレッジからSVA (School of Visual Arts ニューヨークにある名門の美術大学)に編入されたいきさつは?

堤:本格的に絵の勉強をしていこうと思ったけど、美術大学ってほとんどが私立。そして私立の美術大学ってものすごく学費が高い。当時の自分の経済状況だととてもじゃないけど払えなかった。

今はわからないけど、当時は外国人に対する奨学金なんてほとんどなかった。ただアメリカってすごくチャンスをくれる国なんですよね。当時のコミュニティーカレッジの先生方が僕が編入できるようにすごく頑張ってくれた。たとえば推薦状を書いてくれたり、直接大学側に問い合わせてくれたりして、それで SVA から奨学金を得ることができました。

とはいっても、それだけではまだまだ経済的に余裕がない状態。そんなときに、当時通っていたコミュニティーカレッジがあるロックランド・カウンティ(日本でいうところの市)の自治体が主催する奨学金があることを知りました。でも、それって完全にそこで生まれ育った人のためのものですよね。なのにその係のおばちゃんが「あなたに絶対にとらせる!」って推薦してくれて、それもいただくという幸運に恵まれました。

あなたがどこの出身とかそういうことではなくて、本当に頑張っている人に対してはルールを曲げてでもチャンスを与えてくれる。そういうのってすごくアメリカっぽくて、僕が大学に行くためにそうやって応援してくれる人たちが周りにいたのがすごく励みになった。それは僕の中で未だに印象に残っていて、人と人とのつながりによって、不可能が可能になるっていう出来事がアメリカではすごく多い気がする。

もちろん簡単なことではないし、僕がたまたま運が良かったこともあるだろうけど、外国人は奨学金が出ないからってあきらめる人が多い中で、ルールを曲げてでもそれを可能にしてくれた。僕は絵を始めるのがすごく遅かったから、抜きん出て絵が上手というわけではなかった。謙遜抜きで、絵が上手だからという理由で奨学金が取れたわけではないと思う。それでも奨学金をもらえたのは僕のやる気だったり、そういうところを応援してくれたんだと思う。

それで SVA に無事に編入しました。でもクラスでも明らかに僕が一番絵が下手だったんですね。「君には絵の才能が無いから僕のクラスをとるのをやめなさい。」って2回言われたこともある。それぐらい競争が激しい学校でした。コミュニティーカレッジとは打って変わって厳しい環境でした。

そしてアニメーションの世界へ

川島:堤さんでもそんな挫折を体験をされていたんですね。それで絵をどんどん勉強して卒業された。そのときに就職先として日本の会社を選ばなかったのはなぜですか?

堤:いつか日本に帰るっていう思いはあったけど、日本にすぐにでも帰りたいって思いは全くなかった。日本からアメリカの大学に行くっていうのは本当にすごく大変だと思うんです。その苦労を経ている人っていうのはすごいと思う。アメリカの大学ってすごく勉強しないといけないし、簡単に卒業できない。それに加えて言語のハンデもあり、文化のハンデもある。それを経験した人は、自分に対してどこかで自信がついてくると思うんです。きっとアメリカの大学に留学するほとんどの人はそうなんじゃないかなと思います。

僕の当時の日本の社会の印象としては、「このひとはこう」みたいな「レッテル」をすぐに貼りたがる人が多いというのがありました。「小さい頃から絵をやっていたわけでもない君が、絵で食べていけるの?」みたいな事を日本の美大に行った高校時代の友人から言われこともあります。先入観かもしれないけど、そういう印象が日本で育った僕の中にはあった。

でもアメリカって「やりたいことをやれば」っていう社会が根本にある。例えば僕のピクサー時代の同僚で、UCバークレー大学で野球部のキャプテンをやってた人がいるんですね。毎年大リーガーが出ているような超名門野球部。彼に聞いたんだけど、そんなところなのに野球の経験が全く無い人が練習に参加したりするらしいです。それって日本じゃありえないですよね。野球未経験の人が、いきなり早稲田の野球部に入ったらダメですよね。

川島:他の人の目とか気になりますよね。

堤:そうそう。その人たちはもちろんそのチームでレギュラーにはなれないですよ。でもそこでレギュラーになることが目的なのか、それとも野球が好きだからそこでやっているのかの違いで、それが許される社会ってすごいなって。僕みたいな絵を描くことを小さい頃からやっていなかった人間が、それでも絵の仕事に就けるっていうのも、そういうところにあると思うんです。偏見だとかレッテルみたいなものを外してチャンスが与えられる。もちろんその反面、やってもいいけど成功しようと失敗しようと、私には関係が無いからっていう冷たさもアメリカにはありますよね。そういう意味ではすごく鍛えられる。

それで卒業した時に、日本に帰るのではなくて、このままもうちょっと自分の可能性を試してみたいって思ったんですね。それで、じゃあ絵描きとして暮らしていくとして、それでビザが出るのかなって調べてみるとそれはかなかな難しい。じゃあ絵を描いて就職できる仕事って何だろうって。そんな数少ない仕事のひとつとして、アニメーション関係が浮かんできた。それで本当に、たまたまな成り行きでアニメーション関係の道に進んでいった。

それと、当時インターンシップのようなプログラムでディズニーで働く機会があったんですが、その時にディズニーアーティストの絵のスキルの高さにショックを受けました。僕は絵画を勉強していたので、絵が上手い人は絵描きだと信じて疑わなかった。なのでディズニーでアニメをやるのにこんな絵の力をもってないといけないんだと、本当に愕然とした。それで僕もアニメーションの世界に行けば、自分の絵の実力も上がるのではと思いました。

次ページ 「アニメーションの世界でのアートディレクターという仕事」へ続く