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コラム

四苦ハック人生 in Sanfrancisco

野球少年が絵画に出会い、ピクサーのアートディレクターに。そして独立。アカデミー賞ノミネート監督、堤大介さんに聞く。

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「ピクサー」からの独立

トンコハウスに飾られたミッション・ステートメント

川島:その後のピクサーでの堤さんの活躍は、いろいろなメディアにも取り上げられ、アニメーション業界では有名なサクセスストーリーです。二年前にはピクサーに在籍されながら個人的に作りあげた短編アニメーション映画「ダム・キーパー」がアカデミー賞にノミネートされるという快挙も成し遂げられました。そして誰もがうらやむ会社とポジションを手放して、一年半前にスタジオ「トンコハウス」をつくり独立されました。

堤大介はアートディレクションができる映画監督なのか、それとも監督ができるアートディクレターなのか。独立されたのは、アートディレクターから監督へという堤さんの今後のキャリアを見据えてのことなのではと推測していますが、そのあたりについて伺えますか?

堤:それは僕もよく考えていることです。僕はアートディクレターという肩書きに、そんなこだわりが無いんです。それでいて、監督ということにも強いこだわりは無い。
子を持つ親なら誰もがそうだと思いますが、僕も子どもができたことを転機に自分の将来や人生についてすごい考えさせられた。なんで自分は絵を描きたいのか、なんでアートディレクターなのか、なんで映画の仕事をしてきたのか、なぜ映画が好きなのか。そういったことの原点に帰って、なぜ自分がこういったことをやってきているのだろうか、自分の息子や次の世代に残してやれることってなんだろうか。そういうことを親として考えるようになった。

僕は自分の「表現」を通して、「こういうことっていいよね」「こういうのって美しいよね」と、いろいろな人と対話がしたいと思っています。そういう風に自分の価値観を表現を通して人と共有できるというのは、アーティストの特権だなと。たとえそれが絵であれ映画であれ、もしくは文章であっても音楽であっても、きっと本質は一緒だと思うんです。それを考えた上で、自分の持っているスキルをみて、じゃあどうやったら一番その状態に近づけるかを考えると、結果的に今の状態ではそれが映画監督だった。もちろんピクサーでもアートディクレターというとても影響力がある立場で面白かった。ただ、そもそもなぜ自分はこの仕事をはじめたんだって考えると、やっぱり何かを表現することで、人に何かを伝えたいってことがありました。

きっと、家にこもって絵を描いていられればそれで幸せですって人もいると思う。ただ僕はそうではなかった。僕はいろいろな人と会話をしたいし、思っていることを伝えたい。もし作品を通して思いが伝わらなかったとしたら、じゃあなぜ伝わらなかったのかを考えることも好きなんです。そうやって人と対話することが自分のテーマなんだと思うと、今の時点では「お話」をつくりたいと思っています。映画の世界で今までやってきましたが、僕はただ絵を描くのではなく、常に「お話」を考えながら絵を描いてきました。

今までギャラリーなどで自分の絵画を展示することもあったけど、そのときも自分の絵には常にナラティブな要素、つまりお話を盛り込んできたし、そこを通じて鑑賞者と自分との会話が成立すればいいと思っていました。自分の持っているスキルを考えると、今は「監督」というところに挑戦したいけど、もしかしたら将来は絵に戻るかもしれない。

だからアートディレクションができる監督という枠にはこだわってないし、もし自分を超えるアートディレクションができる人がいれば、もちろんその人に任せたい。もちろん僕とパートナーのロバート(ロバート・コンドウ。元ピクサーのアートディクレターで、ダム・キーパーの共同監督。またトンコハウスの共同設立者)にとって、そこができるのが僕らの強みではあるけれど、でもやっぱり映画の仕事の醍醐味はチームでやること。自分で全部やってしまうのはつまらないし、自己満足で終わってしまう。例えば野球でも、選手が後に監督になり、次の世代を育てていくのはすごく大事。それと同じで、どの業界でも次の世代を育てるっていうのはすごい大事。僕らも次なるアートディクレター、次なる監督を育てるっていう風になっていきたい。もちろん今僕らがその資格、経験があるのかはわからないけど、そういう流れをつくっていかないといけない。僕らがアートディクレター、監督にしがみついていたら人は育っていかないと思います。

「ダム・キーパー」に出てくる主人公のブタとキツネの粘土モデル。作品は手描きアニメだか、こうして実際にモデルをつくることで、光の当たり方などを徹底的に検証している。

共同制作を通じた日本への貢献

川島:次世代へどうやって貢献できるかということですね。貢献ということでいうと、新作の「ムーム」でも、あえて日本の制作会社と一緒にやられています。またダム・キーパーの長編映画プロジェクトにしても、他の日本の制作会社とパートナーシップを結んで進められている。あえて日本の人たちを一緒にやるというのは、日本のアニメーションコミュニティーへの貢献といった意図もあるのでしょうか?

堤:そうですね。ひとつは自分が日本人であるというルーツを生かしたいと思った。日本を離れてもう24年になるけど、もっと何か日本に貢献したいという母国に対する愛情があります。それともうひとつは、日本はアニメーションという世界に誇れる文化を持っていて、そこに僕のようなアメリカのアニメーションでやってきた経験が交わることで、それが少しでも向上するのではないのかというワクワク感がありました。もちろんすでにやっている人もいるだろうけど、僕もそこに挑戦したいと思いました。

日本は手描きアニメーションがものすごく発展していたので、ある意味でCGアニメーションに移行する必要があまりなかった。その結果CGアニメーションに関しては、日本は少し遅れている部分があると思います。でも素晴らしい才能や技術はたくさんあります。ピクサーと比べても日本じゃなきゃできないというところもあります。どっちがいい悪いというより、僕らアメリカで学んできた人間とコラボレーションすることで学び合えれば、お互いに向上できることが多々あると思うんです。僕はCGアニメーションは、世界のマーケットでこれからとても面白い存在になると思ってます。

新作「ムーム」の予告編。川村元気原作、堤大介、ロバート・コンドウ共同監督。

川島:今回の「ムーム」の制作でも、日本のスタッフがどんどん成長しているというのは感じられましたか?

堤:それはすごく感じました。このスケジュールと人数ではピクサーでは逆立ちしてもできなかったです。皆、本当にすごい力を発揮しました。もちろん、まだまだと思うところはあります。でもこれが第一歩になれるのではと思っています。課題はまだ意識が「アニメの世界」で終わってる部分かもしれません。アニメーションというメディアを向上させるためには、アニメを超えて「映画」というもっと大きい枠組みで勉強していかないといけないと思うんです。「アニメーション」は、ただ単に動かすことではなく、そもそもの語源は「命を吹き込む」事です。そのために、アニメーターは役者の勉強をし、CGモデラーは彫刻を学び、CGライターは絵画やカメラ撮影といったことをもっと勉強していかないといけない。それが本当の意味で楽しいって思えない人にはなかなかできない仕事だと思います。

それとアニメーション、特に日本でのCGアニメーションの世界では、映画そのものを「アメリカの」映画、「アメリカの」アニメーションと、どこかで切り離して考えてしまう人がすごく多いと思います。そもそも映画って何だろうと、そこをしっかり勉強してアニメーションの世界に入ってきている人が少ないのではないかと思うんです。もちろん僕もまだまだ勉強不足です。でも、そういうところから一緒に勉強していきたい、勉強できる場をつくっていきたいと思っています。

「ムーム」の制作に関しても、ただ単にアニメーションの仕事としてこなすのではなくて、「映画」を作るという意識でやってきました。そこは何度も議論になりました。苦労もあったし、面倒臭いと思われることもたくさんお願いしました。きっとスタッフの中にも「なんでこんなことをやらされるんだろう」って思っている人もいたと思うんです。ただ「成長」っていうことをキーワードに考えると、次に「ムーム」のスタッフがどんなものをつくるのかはすごく楽しみです。

たとえ短編映画であっても、「産みの苦しみ」ってあって、制作はすごく大変です。でもじゃあその向こうに何があるのって考えた時に、その苦しみが耐えられるぐらいの楽しい世界が絶対に待っていると思うんです。ピクサーってそういうところだった。スタッフ一人一人が映画をつくるっていう意識で動いている。それも世の中の歴史に残るような映画をつくるんだって思っている。もちろんそれが成功するかどうかは結果論です。ただその意識の持ち方が大事だと思うんです。僕らもそういう風に考えられるプロジェクトを今後も続けていきたいと思っています。

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