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コラム

四苦ハック人生 in Sanfrancisco

野球少年が絵画に出会い、ピクサーのアートディレクターに。そして独立。アカデミー賞ノミネート監督、堤大介さんに聞く。

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アニメーションの世界でのアートディレクターという仕事

川島:堤さんはアニメーション業界の中でも、特にその「光と影を見る目と、それを操る技術」が評価されていると伺っています。当時から光や影に対して、特に意識を働かせて活動されていた?

堤:僕の場合、油絵を勉強している時から、気付けば自分が好きなアーティストは光を上手に使うアーティストだった。絵画の中でも光と影をうまく強調して表現している作品がすごい好きで、僕もそこをすごく勉強しました。でも当時のアニメの世界では、そうやって光を上手に扱うという手法はそこまで広まってはいませんでした。なので、もし最初からアニメーションの世界に入っていたら、光と影っていうのはやっていなかったかもしれないですね。

川島:僕は堤さんと初めてお会いした時に、ピクサーで働かれているということで、勝手にアニメーションをする人だと思い込んでいました。でも堤さんのお仕事の話を聞いているうちに、はじめてアニメーションの世界にも、色彩や光と影などを駆使して世界観を作り上げているアートディレクターという職種があると知り驚きました。そういった職種の人は日本のアニメ業界でもいるんですか?

堤:僕が知る限りでは、そこを専門にしている方は少ないかもしれない。日本のアニメーション業界で「美術監督」というと、大抵は背景を描く人のことを指したりします。

でも僕の職種の場合、背景だけでなく「キャラクターをどう見せるか」といったことも考えます。もちろん日本にもそれができる人もいるだろうし、それをいつの間にかやっている人もたくさんいると思います。ただ主流のシステムの中には、僕のようなポジションというのは今まで存在していなかったと思います。それは日本のアニメーション業界の人にもよく言われます。だから話を戻すと、日本に帰らなかったのは、僕のようなアートディレクターという仕事、ポジションが日本にはまだなかったっていうのも単純な理由としてありました。

トイ・ストーリー3の監督から、突然の誘いの連絡

Lighting

堤さんによるライティングの検証スケッチ。光の入り方で絵の印象が全く異なる。 ©Dice Tsutsumi

川島:アニメーション業界に入り、ブルースカイ・スタジオなどで活躍されたのちに、ピクサーに移られました。その時の経緯を伺ってもいいですか?

堤:ピクサーに来る前にすでに9年ぐらいこの業界で働いていました。その当時からピクサーというのは業界でもダントツ、もう右に出るものはいないっていうくらい誰もがうらやむ会社でした。いわゆるコンピュータを使ったCGアニメーションだけでなく、子どもから大人までみんなが楽しめるアニメーションをつくっていた。もっと言うと、「アニメーション」がその枠を超えて、ひとつの「映画」として評価を得ることが可能なんだと示してくれた会社でした。もちろん日本に目を向ければ宮崎駿監督のような人もいますが、少なくともアメリカではそれは画期的なことでした。

僕は当時ブルースカイというピクサーのライバル会社で働いていましたが、クオリティーでは足元にも及んでいませんでした。それでもピクサーに追いつけ追越せって、ピクサーを目指して僕らは頑張っていました。結局ブルースカイでは「アイス・エイジ」など3本の映画に携わったのですが、ピクサーに追いつくのはすごい難しいって思い知らされた。僕は昔から弱小野球部で育ってきた人間なので、メジャーなところに属してやるよりは、「がんばれベアーズ」というか、こいつらできないだろうっていうようなところ、そこであえて頑張るっていうのに憧れみたいなところがあったんですね。だから僕はブルースカイに骨を埋めるつもりでピクサーを超えてやるっていうモチベーションでやっていました。

ただそんなときに2つの出来事がありました。ひとつは日本に住む父親が倒れた。もうこの先長くは無いかもしれないっていう時に、何かあればすぐにでも日本へ帰れるように、少しでも近い西海岸に行った方がいいのかなって思い始めました。それがひとつ目のきっかけ。

もうひとつは当時のピクサーでトイ・ストーリー3のプロジェクトをはじめていた Lee Unkric 監督が直接「いっしょに仕事がしたい」って誘いのメールをくれたんですね。監督から直接連絡が来るっていうのは、やはり会社から連絡が来るのとは違い、心を打たれました。ちょうど父親のこともあり、これは運命なのかなと思って決断しました。

川島:直接監督からとはすごいですね。Lee Unkrich 監督は当時からアニメーション業界ではすでに有名な方だったんですか?

堤:ピクサーの初期から活躍していて、業界ではもう超有名人。僕も最初は友達のいたずらかと思いました。まったく前触れも予兆もなく、いきなり Lee からのメールが来たので「えー?」みたいな。

川島:今みたいにSNSがここまで普及する前のことですから、なおさらすごいですね。

堤:当時から個人のWebサイトは持っていて、そこで自分の絵画とかを載せてはいました。それに業界も狭いですし、誰がどこで働いているかの情報はすぐに広まる状況ではあった。実際ピクサーから他の形での誘いは何度か受けたことはありました。ただ今回は監督からの直々の誘いで、しかもアートディクレターというポジションでの大抜擢。だからこれはチャンスかなって思って移りました。2006年、当時32歳でした。

川島:じゃあちょうど30代になり、これからのキャリアについて考えている時にちょうどめぐってきた機会だった?

堤:30代前半ってちょうど仕事で一番脂がのっていて、自分に自信も出てきたころ。ただ、じゃあここからどういくんだろうって考える時期でもあったと思う。僕はブルースカイにいた時に、会社の外で個人的な制作活動をいろいろはじめていました。それはやっぱりどこかで会社の仕事だけでは物足りないって思っていたんですね。自分自身の表現とは何だろうと模索していた。そんな時の Lee からの誘いだったので、自分の中でしっくり来るところもあったと思います。いいタイミングなのかなって。

次ページ 「「ピクサー」からの独立」へ続く