企業はネット上の「批判」「誹謗中傷」にどう向き合えばいい?(後編)

メディアや受け手の「責任」はどこへいく?

境:今年に入ってから、社会的に話題になる事件のきっかけを週刊文春がつくっています。驚くのは、テレビのワイドショーでさえ、「文春にこう書かれていました」と放送していること。「君らは取材しなかったの?」と問いかけたい。

徳力:昔は「週刊誌の情報は、本当なの?」ということがありましたよね。いまは「文春だから、真実だろう」に変わりました。

浜田敬子(朝日新聞社 総合プロデュース室 プロデューサー)
朝日新聞入社後、前橋、仙台支局を経て週刊朝日編集部。1999年にAERA編集部へ2004年に同副編集長。06年育児休業を取得。2014年4月に編集長。2016年から現職。テレビ番組のコメンテーターなどを務める。

浜田:情報の「裏取り」の価値が落ちているということを体験しました。

あるネットのニュースメディアに、「フランスで休日に仕事のメールを見てはいけない」という法律が制定されたと掲載されました。私も「これはすごい!」とコメントしましたし、ネット上で大きな話題になりました。しかし、一週間後に誤報だと分かり、私も反省のコメントを出しました。ただ、このニュースに多くの人が意見を発信していたにも関わらず、誤報を責めるコメントは全然無かったのです。「ニュースはネタなのだな」と、思いました。

中川:ネット上のユーザーが自分の言いたい主張を補強するために、誤報でも何でも使うということがいま起きています。

徳力:マスメディア時代と現在のデジタル時代を単純に比較してメディアの将来を考えると、悲観論になってしまいがちなのですが、僕は価値観の「戦い」だと思っています。いわゆる「大衆」を普通に放置すると衆愚化し、過激になっていくことは歴史を振り返っても、ある程度は人間の本質であって仕方がないことかなと思います。

ただ、だとすれば過激な人が正義にならないように、受け取る側のリテラシーを高める教育をしていかないといけないし、誹謗中傷のような過激な表現をしている人が格好悪いという雰囲気を社会的に作らないといけない。または、メディアやプラットフォーマーがテクノロジーを使って、そうした意見が表面に出てこないようにしていくことも考えられます。そうしたデジタル時代ならではの言論のセーフティネットみたいなものを真剣に考えないといけないフェーズにきているのでしょう。
 
境:いろんなメディアやプラットフォームが出現し、発言しやすくなっている中で、次にどう良くしていくべきかが問われているということですね。

中川:僕は、受け手のリテラシーは、高まっていると思っていますよ。熊本地震のときのネットの反応は、東日本大震災のときよりも進歩していました。

というのも、2011年は、千葉の石油コンビナートの爆発で「有害物質を含む雨が降る」というデマが流れました。最初に、その情報が流れてから、一週間後に中学校のときの同級生から、「中川、気をつけろ」と連絡がきました。

一方で、熊本地震ではライオンが逃げたというデマもすぐに嘘とみやぶられましたし、騒ぐ人もあまりいなかった。先ほど、話題に出たように、芸能人でさえも誹謗中傷への対応策をたてるなど、リテラシーを獲得しています。全体としては、良い方向に向かっているのではないでしょうか。

徳力:ありがとうございます、最後に、ポジティブな話が出ましたね。ネット上のリテラシーが改善の方向に向かっているということは、メディアや書き手にとっても、勇気が出る話ではないでしょうか。もっと多くの企業が、リテラシーが改善するための仕組み作りとか考えてくれると良いですよね。

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