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コラム

コピーライター養成講座 講師・卒業生が語る ある若手広告人の日常

私を変えた凄い人たち — 市川準さん

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[寄稿者一覧はこちら]

【前回のコラム】「私たちクリエイターは今、世の中に何を投げかけられるのだろう。」はこちら

この連載ではコピーライター養成講座 講師の若手時代に焦点を当て、学んだ人・学んだことを振り返ります。第一回では、17(ジュウナナ)CD・CMプランナー・コピーライターの松尾卓哉氏が市川準氏を紹介します。

松尾 卓哉 17(ジュウナナ) 代表
クリエイティブディレクター/CMプランナー/コピーライター

「目立つ、そして、モノが売れる」広告で、スポンサーの売上に貢献し、国内外の数々の広告賞を受賞。電通、オグルヴィ&メイザー・ジャパンECD、オグルヴィ&メイザー・アジアパシフィックのクリエイティブパートナー就任の後、2010年に17(ジュウナナ)を設立。主な仕事は、日本生命、野村證券、キリン、明治、ピザーラ、KOSE、TOYOTA、東急リバブル、東洋水産、ENEOSでんき、メルカリなど。2016年4月に、『仕事偏差値を68に上げよう』を上梓。企業、大学、自治体での講演も多数。

 

市川さんから学んだこと

このコラムでは、私の仕事の仕方、向き合い方を根本から変えてくれた恩人を紹介します。1人目は、CM監督の市川準さん。

「私はこれで、会社を辞めました。の禁煙パイポ」「金鳥・タンスにゴン。キンチョール」「ヤクルト・タフマン」など、人間の可笑しさ、理不尽さをチャーミングに描かせたら、右に出る者がいないと言われた人です。

市川さんの最後のCMになったのは、私と一緒にした高橋酒造「しろ」です。

スポンサーの社長への初号試写が終わり、市川さんと別れてすぐに、私は当時住んでいたシンガポールへ帰国する飛行機に乗りました。8時間後、チャンギ空港に到着し、携帯電話のスイッチを入れた途端に、電話が鳴りました。

「市川さんが亡くなりました…」

天国に旅立たれて9年が経とうとしていますが、「この企画、市川さんにお願いしたいなぁ…」と、いまだに言ってしまうことがあります…。
 
市川さんは、撮影現場を、誰よりも楽しんでいました。面白いシーンの撮影で、同録なのに声を出して笑って、音声さんに叱られるのを何度も見ました。モニター画面に没入して「カット!」の声をかけ忘れることも度々。

味の素「ほんだし」のCM。樹木希林さんと田中麗奈さんが母娘を演じ、7年続いたシリーズのある年、スポンサーに“押さえの台詞”を求められました。

広告制作に長けたスポンサーなので、通常はそんなことを求めません。さまざまな大人の事情があったのです。希林さんへのコンテ説明で、私が「この台詞を押さえで撮らせてほしい」と言った後、

2人きりになった時に、市川さんに諭されました。
「プロに、“押さえ”なんてことを言ってはいけない」と。

「プロにお願いする時は、すべてのことを、本気で頼まないといけない」と。
私は、当事者として「逃げ」をつくっていた自分を恥じました。「ほんだし」が私の電通での最後の仕事だったので、市川さん主催で主要制作スタッフが送別会を開いてくれました。

その挨拶で、「みんなにお願いしたい。もし、今後、松尾が我々に仕事を頼んできたら、1回は、それがどんなものであっても断らずに、必ず力を貸してやって欲しい」と市川さんは全員に頭を下げてくれました。

そして4年が経ち、受けてくれるはずがない小さな仕事を市川さんに依頼したら、「約束したからなぁ」と笑って受けてくれました。武士に二言無し。

口約束を守る人が一番信頼できるのです。契約書無しでは物事が進まない外資系広告会社に私がいた時のことでした。業界の挨拶代わりの「今度、飲みに行こう」は、それからは二度と言っていません。言った時は、必ず行くようにしています。

次ページ 「今の私があるのは市川さんのおかげ」へ続く


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