コラム

コピーライター養成講座 講師・卒業生が語る ある若手広告人の日常

私を変えた凄い人たち — 4人目 Tham Khai Meng(タムカイメン)

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【前回のコラム】「私を変えた凄い人たち — 3人目 岡康道さん」はこちら

この連載ではコピーライター養成講座 講師である17(ジュウナナ)CD・CMプランナー・コピーライターの松尾卓哉氏が、仕事の仕方、向き合い方を根本から変えてくれた恩人を紹介します。4人目は、Ogilvy & MatherのTham Khai Meng(タムカイメン)さんです。

松尾 卓哉 
17(ジュウナナ) 代表
CD/CMプランナー/コピーライター

「目立つ、そして、モノが売れる」広告で、スポンサーの売上に貢献し、国内外の数々の広告賞を受賞。電通、オグルヴィ&メイザー・ジャパンECD、オグルヴィ&メイザー・アジアパシフィックのクリエイティブパートナー就任の後、2010年に17(ジュウナナ)を設立。主な仕事は、日本生命、野村證券、キリン、明治、ピザーラ、KOSE、TOYOTA、東急リバブル、東洋水産、ENEOSでんき、メルカリなど。2016年4月に、『仕事偏差値を68に上げよう』を上梓。企業、大学、自治体での講演も多数。

 

4人目は、Tham Khai Mengさん(以後、カイ)。
現在、NYに本社のある広告会社Ogilvy & Mather(以後、オグルヴィ)のWorldwide Chief Creative Officerであり、Co-Chairmanです。
つまり、全世界のオグルヴィのクリエイティブのトップであり、共同会長でもあります。アジア人で初めて、ワールドワイドエージェンシーのクリエイティブのトップに立った偉大な人です。
 
今後、アジア人からも世界の広告会社のトップに立つ人は出てくるでしょう。でも、何でも一番最初にやった人が、一番難しいのです。
広告界に新たな歴史をつくり、アジアの広告界の若者に大きな希望をつくったのが、カイです。  

電通からオグルヴィに転職した数ヶ月後、私は、カイ主催のアジア太平洋地域のCD(クリエイティブ・ディレクター)会議に呼ばれました。当時のカイは、アジア太平洋地域のクリエイティブのトップでした。

そこでは、各国が制作した代表的な広告をその国の代表CDが発表し、
互いに刺激を与え、各国が抱えている制作環境の問題を共有し、解決するために意見を出し合うのです。
 
驚きました。
発表は、限界まで膨らんだ風船のように張り詰めた空気の中で進むのです。
司会者でもあるカイのコメントが、容赦ないのです。

素晴らしい広告の時は、心の底から褒めてくれますが、
駄作を見せると、コテンパンに叩かれるのです。
その時、CDがその仕事の事情などを言い訳しようものなら、
火に油を注ぐことになります。
ある年の会議では、初めて参加したCDが、その洗礼を喰らい泣き出したくらいです。 
  
パワハラかというと、決してそんな低次元なものではありません。

「こんなアイデア、クオリティのレベルで満足してはダメだ」

「なぜ、新しい表現に挑戦しようしないのか」

「クリエイティブのリーダーとして、志をもっと高く持て」

ということを、いろんな言い方でカイは伝えていました。
 
一方で、日本とは異なり、国の経済が右肩上がりで、
広告クリエイティブの仕事が社会の中で高い地位にあり、CDが尊敬される職種であることから、彼らは日頃の立場とのギャップに戸惑っていました。

カイの気迫は、そんな彼らのプライドを圧倒していました。

「アジアのクリエイティブのレベルを上げる」

そのための障害は全部乗り越えるんだという覚悟が全身から溢れ出ていました。
 
当時のカイは、「趣味は、世界中の優れたアイデアの収集だ」と言っていたように、古いものから最新のものまで、世界中の広告はもちろん、広告以外の表現からも優れたアイデアを学び、ストックしていました。
   
そのため、何よりも“オリジナリティの大切さ”に関して、いろんな場面で、繰り返し語っていました。すべての表現には、(考案者が意識しようがしまいが)すでに何らかの似た前例が存在するものです。だから、元ネタが明らかになるような工夫の無い表現や、新しさが加えられていないものを唾棄し、我々に禁じていました。
 
そして、この言葉も繰り返し言っていました。

「ルールがあるなら、それを疑え。
 そこに新しい表現の可能性があるかを探るんだ」

   
さて、
クリエイティブマインドを刺激された会議から帰国すると…。
  
オグルヴィの東京では、電通時代のように、待っていれば有名スポンサーの仕事が与えられる状況ではなく、新規スポンサーに売り込みに行く営業活動をする日々が続きました。そして、周りの人々からの支援のおかげで、
日本生命、サントリーなどのスポンサーとの仕事が少しずつはじまりました。
    
その翌年、私の誕生日に、カイからバースデーカードが届きました。
そこには、たった一行、こう書いてありました。
 
Never Never Never give up!

日本の広告業界の勢力図を知るカイだからの言葉でした。 
このフレーズのおかげで、その後、私は何度も自分のクリエイティブ人生の危機を踏ん張ることができました。
いや、これは、今も効いています。
     
その2年後、私はオグルヴィへ転職した本来の目的を果たすために、
世界に出て行くことにしました。

当時、クリエイティブが強かったNY本社、ロンドン、ヨハネスブルグ、ハンブルグ、サンパウロ、シンガポールの6つのオフィスが候補になりました。
安全面なども考慮し、いくつかには面接に出向き、最終的には、アジア太平洋地区を管轄するリージョナルオフィスであるオグルヴィ・アジアパシフィック(シンガポール拠点)に移籍しました。

契約書にサインする時、人事の責任者に繰り返し言われました。
「いいですか。日本の労働法とは異なりますよ。
 これにサインをすれば、明日、クビになる可能性もあります」

「理解しました。どんな時に、クビになるのですか?」

「あなたの上司であるカイが、クビだと言ったら…」

「カイ以外には誰が、私をクビにできるのですか?」
 
「基本的には、カイだけです」
 
私は、“リージョナルクリエイティブパートナー”という肩書きで、
カイのパートナーとして、彼の部屋のすぐ横で働くことになりました。

【アジアパシフィックのオフィスは、シンガポールオグルヴィの中に間借りしていました。私のデスクから見たカイの部屋。
なぜか、カイの秘書よりも、私の方がこんなにも近いのでした】

リージョナルのクリエイティブは、各国のオフィスの支援のために、
よく出張に行きました。その度に私の秘書は、飛行機はビジネスクラス、
ホテルは一流の良い部屋を取ってくれました。

カイに訊いたことがあります。
「どうして、毎回、良いホテルを取ってくれるのですか?
 日本では考えられない厚遇です」

カイは即答。

「行った先で、最高のパフォーマンスを出してもらうためさ」

そして、笑いながら付け加えました。

「キミのパフォーマンスが悪ければ、
我々は扱いを失くすだろ? そしたら、キミも…」

この言葉の通り、本当にタフで、シビアな世界でした。例えば、世界契約の仕事の場合、その国の施策がどんなに成功していようと、NY本社が競合プレゼンに負けると全世界でその仕事が失くなり、人によっては職を失くします。アジア太平洋地域での契約の仕事にも同じことが言えました。
   
さて、アジア中を飛び回って滅多にいないカイがオフィスに来た時はいつも、
私のことを気にかけてくれて、とても良くしてもらいました。
ご自宅にも呼ばれ、何度か食事にも連れて行ってくれました。

日本大使館の元料理人がはじめた日本料理店に行った時のこと。
お通しから始まり、料理の盛り付けが、どれも美しく、素晴らしかったのです。

カイが言いました。

「この盛り付けは、日本人のキミが見ても美しいか?」

「すごく美しいですよ」

「やはり、そうか。美しいと感じるものには、
 日本人も、シンガポール人も関係ないな。
 こういうレベルの、感じる広告をつくりたいな…」

カイは、一人のクリエイターの顔になっていました。 
この時の会話は、いつも私の心の中に響いています。

カイと仕事をできたおかげで、今の私はあります。
カイさん、ありがとうございます。

【2005年のカンヌで。カイ、博報堂の宮崎さんと】


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