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“伝説のゲーマー” が小説家に「ものを書くことは 幸福な呪い」

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物語るために生まれてきたのだった

しかし、その一方で、私はどうしてか疲弊していきました。会社組織の上意下達や、人間関係のストレスといった悩みもあるにはあった。だからはじめのうちは、そういうもので疲れているのだ、と自己診断を下していました。しかし、よくよく自分の心に相談してみると、問題がもっと深いものであることがわかってきました。

詩的な言い方をすれば、カフカにかけられた呪いが効いてきたのです。つまるところ、私はどこまで行っても、読むために生まれてきたのと同程度に、物語るために生まれてきたのでした。私がするべき「仕事」は、外回りの営業マンではなかったのです。

このことに気づくまでに、二年かかりました。残業して、上司に提出する報告書を書くためのマイクロソフト・ワードの白紙のページに、自分が、小説とも思想ともつかない得体の知れぬ文章を書きはじめたとき、私は額に手のひらをあててため息をついたあと、この呪いと一生付き合っていく覚悟を決めました。

なんといってもインターネットの時代ですから、私はとにかく原稿を書いて、ほうぼうのメディアに送りました。幸運なことに、いまの時世、どこも原稿が足りていないらしく、すぐにいろいろなメディアから、お仕事として文章を発注してもらえるようになりました。もちろん、原稿料はとても安かった。一年目の収支を見てみると、まあ、よくこんなお金で生活できていたものだな、と感心するほどです。

ただ、私は心をこめて書くことを忘れなかった。より正確に言えば、私が培ってきた言葉の技巧を、原稿に活かすことを忘れなかった。そうすることが楽しかったからです。また、営業マンも思いきってやめてしまいましたから、そうするだけの時間はあったのです。

そして、一日の仕事を終えて夢想したり、趣味であるビデオゲームに熱中したり、友人たちと食事をすることは、ほかの何事にも代えがたい幸福であると知りました。そうして原稿が掲載されていくにつれ、いろいろな媒体から、ありがたいことに、様々なご依頼をいただけるようになりました。

「じゃあ、それ、書いてください」

そして早川書房さんより、長篇小説を書いてみてくれないかと、二〇一七年の四月ごろにご依頼をいただきました。このとき、じつのところ、私は深く動揺しました。そのころ、小説に憧れながらも小説を半ばあきらめて、事実に即した原稿をライターとして書きつづけていた私にとって、小説というものは、なにか人智の及ばざる、天使たちが天国でつくるもののように思われはじめていたからです。それでもやはり仕事ですから、私は現実的な、商売になりそうな企画を数本携えて、早川書房さんを尋ねました。

相対した編集者は寡黙な方でしたが、それにしても、私が持ってきた企画について、あまり積極的に判断したがっていないように見えました。しばらく言葉を交わしたあと、彼は私に、「ところで、そもそもあなたはどんな人生を歩んできたのですか」と聞きました。

私は十四歳のころをはじめとして、こういうことがあって、こんな人と出会って、それがああなってこうなりました、それで、いまこうしてあなたの前に座っているのです、とお伝えしました。だいたい十五分くらいで終わる、たいしたことのない話でした。彼は話を聞き終えたあと、さらりと、こう言いました。「じゃあ、それ、書いてください」。

こうして、拙著、『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』のテーマが決まったのです。この編集者は、塩澤快浩さんという方でした。あとになって彼が、円城塔さん、伊藤計劃さん、宇野常寛さんなど、現代のすぐれた書き手をつぎつぎと発掘してきた凄腕であることを知り、私は心から震えあがりました。

三カ月で書いた初稿は、ひどい出来だった

話をするうちに、これはおれの人生に二度とないほどのチャンスかもしれない! という気がしてきて、できるところを見せたくて「三カ月で書きます」と言い切ってしまいました。それからは、もう、なりふりかまっていられません。煙草を十カートンとコーヒーを十キロ、缶ビールをケースで買って自室に運び込み、扉をかたく閉ざして、心のいちばん奥底にある混沌とした記憶のなかへと潜っていきました。

三ヶ月後に送った四百枚程度の原稿には、しばらくお返事がありませんでしたが、そもそも私も疲れ果てていたので、果報を寝て待つことにしました。

返事が来たのち、怒濤の編集作業がはじまりました。あとになって塩澤さんからこっそりと、「あの初稿は、ほんとうにひどい出来でしたよ」とお伝えいただいたとき、私は大笑いしました。というのも、半年ほどをかけて、彼となんども言葉を交わし、この小説はどのようなものであるべきか、どうすればより良くなるのか、校了前日の真夜中にいたるまで磨き上げた原稿は、自分が書いたとはとても思えないほど、優れたものになっていたからです。

そして、これはとても大事なことなのですが、実際のところ、あの小説『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』は、自分だけで書いたのではないのです。塩澤さんのねばり強く、また精確なご意見が反映されていることは言うまでもありませんが、小説の構造上、ほんとうにどうしたものかわからないような袋小路に入ってしまうとき、私を助けてくれたのは、カフカや、彼のような先達の作品、ホイットマンふうに言えば「人間」たちだったのです。

私がその時々に直面している文学上の問題に突き当たったとき、私ではなく、彼らはいったいどうしたか。さまざまな作家の挑戦のあとを辿ることによって、創作という困難な道のりに、光明が見えるのでした。ですからあの作品は、盛られている内容そのものは新奇かもしれませんが、器である形式そのものは非常に古典的になりましたので、その対比も楽しんでいただければと思っています。

藤田さんのもうひとつの顔は、ネットゲーマーだ。

次ページ 「あなたはすでに書くという仕事を行っている」へ続く