プロジェクトチームの作り方を変え新規客を獲得、キヤノンの手のひらサイズプリンターiNSPiC

share

分科会形式で各自が実行力と責任力を育み、チームに還元してプロジェクトも人も成長

前田:それまでアプローチできていなかった若年層を獲得する。そして、彼女たちのことをちゃんと理解できているということを成功の条件としたときに、よくあるのは「じゃあまずはイベントをやろう!」「ユーザーインタビューをしよう」といった施策に飛びついてしまいがちですが、これはあまりいい進め方とはいえません。

個々の施策を通じて、勝利条件を実現するための「あるべき状態」をつくりだすことが重要なのですが、チームはこうあるべきだとか、訴求方法はこうあるべきだとか、製品にふれたユーザーはこうあるべきだといった「あるべき状態」のことを中間目的と言いますが、これについては意識されたことはあったでしょうか?

吉武:例えば、ワークショップを行って、iNSPiCを使う人はどういう人だろうという定義や、競合把握を通じた明確なターゲティングやポジショニングを定めるといった骨子をメンバー全員で統一するということを意識しました。これには製品の訴求すべき機能なども含まれます。

誰かが「私はシールプリントがすごい良いと思う」と言い、別の誰かが「私はスマホ連携を一番に推すべき」といった状態は望ましくありません。プロジェクトメンバーは分科会に分かれて活動していたので、この骨子をきちんと共有できていないと、分科会によって「WEB施策チームはこう思っている」「店頭施策チームはこう思っている」となってしまい、実際にやっていることがばらばらになってしまうからです。

前田:分科会形式を採用された理由は何かあったんでしょうか?

吉武:全ての業務を行おうとすると、マクロ環境や業界分析などから、ターゲット設定やポジショニングなどの基本戦略、4P分析のような具体戦略の策定まで、考えなければいけないことが多岐にわたります。すべての業務を全員でやれればいいですが、毎回のワークショップや会議を20人全員が揃って行うことも難しかったため、それぞれの分科会で経験や知識のある人を集めた分科会をつくって、それぞれに進めようということになりました。

(※図は拡大してご覧ください)

前田:骨子を共有したうえで、分科会形式で進めるという方法は素晴らしいと思います。昔、プロイセンの軍人であるモルトケが開発した「委任戦術」は、上級指揮官が下級指揮官に対して全般的な企図と達成すべき目標だけを記した「訓令」のかたちで命令を下しました。

訓令を受けた下級指揮官は、上級指揮官の企図の範囲内で与えられた目標を達成するための方法を自分で決定し実行するという、戦場での具体的な行動については、下級指揮官に権限が委任されるという方法で成功を収めたのですが、その事例を思い起こさせますね。

吉武:権限の委任ということでいうと、分科会にしたことで、分科会内で自分たちが企画したことは、自分たちで実行する必要がありました。20人全員ですべての業務をやろうとすると「いいね、それ」という雰囲気だけで終わってしまい、実際に誰が行動するのかといったところに落とし込みにくい。

それを分科会形式にすることで、自分の出したアイデアや企画の責任を自分で取るということができたと思います。自分で実行することで、その分析も自分でやることができ、その結果をまたプロジェクトチーム全体に還元する。そしてまた自分のチームに戻って実行して…という繰り返しを行ってきました。

前田:権限と責任が移譲されて、それが個人の成長だけでなくチームにも還元されてきたというわけですね。

吉武:プロジェクトを進める過程で社長へのプレゼンも行ったんですが、私は骨子だけを整えて、あとは各分科会のリーダーが、中には社長に直接会ったこともない入社2年目の社員が声を震わせながらプレゼンを行うなど、貴重な経験になりましたし、成長につながっているんじゃないかと思います。

小村:私は5年くらい営業をやってきて、店頭施策チームのリーダーをやらせていただきました。具体的な活動としては、iNSPiCの展示台の案などを考えたりしました。通常は、展示台は商品企画部門が作るもので、営業は意見出しが基本的にはできません。それがこのプロジェクトでは、営業一人ひとりが案を出して、実際に営業しながら他社と比べてこうしようといったアイデアや考えを反映してものをつくっていきました。

吉武:「ここをちょっと横に向ける」とか「平行がいいですか」とか議論して、「このほうが取りやすい」とか、店頭ラウンドする人ならではの目線で細かいところまで見てもらって。

小村:実際に販売するのは営業じゃなくて店員さんです。これまでも「商品の並べ方がよくわからない」と言われていたので、iNSPiCが3機種ならんだときに、なにがどう違うのかパッとわかった方がいいよねということで、カメラ機能の有無やスマホ連携機能の有無ということが一目でわかるものをつくっていきました。店員さんとのコミュニケーションのなかで感じていることが実際に反映されたものをつくると、営業メンバーのモチベーションにもなりましたし、自信にもつながりました。

前田:店頭施策チーム以外のチームではどのような活動が行われていたのでしょうか?

吉武:WEB施策チームでは、従来のカメラやプリンターであれば、スペックや使い方情報とかを押し出してきたのですが、「iNSPiCを使って何ができるのか」ということを中心に、お客様がページを見て「こういうことがしたい」と思っていただけるようなページづくりをしていきました。新規開拓チームは、プリントしたシールを手帳に貼る使い方の提案以外にも、双方にメリットが得られるようなiNSPiCとのコラボ対象企業の開拓を行っていきました。

販売社、マーケティングを行う企業としては、製品として出てきたものを、いかにそれにマッチした人に売るかということが問われます。「競合製品と同じようなもの」だと思われないといったことや、その見せ方などです。

前田:他社製品と混同されないというか、独自のポジションで認知されるべきという中間目的を設定されていたということだと思いますが、そうなるために行った施策にはどのようなものがあったでしょうか?

吉武:そういう意味で言うと、発表会は工夫しました。今までですと、製品仕様やスペックを中心に訴求するのがキヤノン製品のやり方でしたが、iNSPiCではそうしたことは謳わずに、コト提案を中心に訴求していきました。会場の雰囲気もお花をたくさん置くなど女性寄りに仕立てたりしたことで、今まではガジェット系のニュースサイトに多く取り上げられていたのが、このプロジェクトでは女性向けメディアでも画的にかわいく取り上げていただき、新しいキャノンのイメージを世間へ印象付けることができました。

前田:そこは徹底されていたんですね。今までの成功体験がある方からすると、どうしてもスペックなどを訴求したくなるところを、骨子をプロジェクトメンバー全員でつくりあげてきたから、そこがブレなかったということですよね。今までの成功パターンを踏襲しないという意思決定はなかなかできないところです。

吉武:キヤノンでもこういう感じのことをするんですね、ということはとてもよく言われましたし、取材もたくさんいただきました。

前田:ここまでお話をうかがってきたこと以外に、意識された中間目的とそれに連なる施策があればお願いします。

吉武:他社とのコラボレーションのあり方は色々と考えました。例えば、iNSPiC用のリフィルですが、これは私たち自身が商品化することも可能だったと思いますが、それでは今までのキヤノンのイメージのままになってしまいます。そうではなくてiNSPiCに合う、iNSPiCと一緒に使いたくなるものを出したい、一緒にこういう体験を楽しんでくれる人たちを狙いたいと思っている企業様に、iNSPiC用の商品を出してもらいたいと思ってもらえるような考え方をしました。

実際にリフィルはそのように協業先の方が考えて出してくださったんですが、そういうケースはこれまでなかったです。ですので、私たちの商品と組み合わせて、私たちが望むターゲットに対して一緒にアプローチをしていこうという動きはすごく新しかったです。いい意味でキヤノンのイメージを変えていくには、時間もかかります。自分たちがこういうところに行きたいなと思うところと協業することで、相乗効果を発揮していければと考えています。

前田:スペック重視のプロモーションではそういうことは難しくて、コト提案をしてきたから、このような協業が可能だったと言えそうですね。

吉武:コト提案もそうですし、そもそもプリンターというもののとらえ方も大事なポイントだったと思います。私たちにとっては、プリンターはプリントできる機械でしたが、お客様が求めているものは、機械ではなくて、それを使ってできること、思い出をシェアする体験など、時代がシフトしているという認識があります。

今までのようにきれいにプリントができるという価値だけを訴求するのは難しい。プリントすることでどんな生活価値を得られるかということを伝えることは、かなり意識しました。

前田:そうしたメッセージを今回はマス広告では打たず、見るかぎりSNS中心で発信しているように見受けられたのですが?

吉武:そうですね。SNSがメインではありました。インスタグラムで「iNSPiC」と検索したとき、上質なコンテンツを残すためにリアルイベントを開催しているということもありますし、何かを作ることに興味がある人々が集まるイベントにも出展しました。

その出展内容も、ただ商品を展示しただけというものではなく、iNSPiCのシールプリントでなにかをつくるという体験を提供して、その様子やできあがったものを、ユーザー自身がSNSで発信し、それを見た人が自分もやってみたいと思えるようなプロモーションを行っています。また、手帳リフィルを商品化してくださった協業先様からの情報発信もあります。

前田:あぁ、ここでも協業の成果が現れるんですね。

(※図は拡大してご覧ください)

吉武:協業先の手帳メーカー様のお客様は今までキヤノンとはほとんど接点がないんですが、メーカー様がSNSでお洒落な手帳とシールの使い方などを発信し、紹介してくださったりしました。先方はそれによって新しい手帳の使い方なども訴求できたり、お互いの課題がマッチしたことも、協業が進んだポイントだと思います。

前田:プロジェクトを始めると、ある程度結果が出た後で、例えばお客様の好感度調査やNPSなどを行って、勝利条件としていた若年層の支持が上がったというようなことはあったでしょうか?

吉武:そもそも以前の状態のときに、若年層が少なかったのでまだハッキリとは言えませんが、アプリの使用実態からは効果はある程度目に見えてきています。まだ製品を出して間もないということもありますが、これで終わりとは思っていません。このプロジェクトで実施した考え方や仕掛けをセットにして、ブランドイメージを変えていくという大きな課題に取り組んでいきます。

前田:これまでアプローチしてこなかった属性の人々に、iNSPiCのプロジェクトで行ったことは、今後キヤノンさんで新しい属性を開拓するプロジェクトの参照物、ナレッジとして残っていきそうですね。

吉武:グループワークのファシリテートなどの型、リーダーとして進めていく方法自体を一般化するということは、参加したメンバーの理解も早いので、こうした経験を積み重ねていくと、そういうものになっていくかもしれないですね。

前田:今回はプロジェクトの進め方以上に、メンバーへの権限の委譲や責任の付与、メンバーの成長を促すという話がたいへん興味深く、多くのプロジェクトマネジャーの参考になるんじゃないかと思います。

「ichikaraプロジェクト」プロジェクトリーダー
吉武 裕子

2005年、キヤノンマーケティングジャパン株式会社入社。
インクジェットプリンターやデジタルカメラの販売促進担当を経て、2011年よりインクジェットプリンターの企画部門にて、プロモーション戦略を主に担当。
2018年より、ミニフォトプリンターiNSPiCの商品企画担当として、市場導入やプロモーション戦略など、マーケティングプランニング全般を担当。

 

「ichikaraプロジェクト」

キヤノンマーケティングジャパン内の若手女性社員による「iNSPiC」のマーケティングプロジェクト。営業、EC担当、会員制サービス担当、カメラやプリンターの商品企画部門などの組織横断のメンバーによって構成され、ターゲット世代の感性・アイデアをマーケティングに反映させる事により、新しい顧客接点の創出に取り組んでいる。

 


書籍案内
予定通り進まないプロジェクトの進め方
ルーティンではない、すなわち「予定通り進まない」すべての仕事は、プロジェクトであると言うことができます。本書では、それを「管理」するのではなく「編集」するスキルを身につけることによって、成功に導く方法を解き明かします。

 

『予定通り進まないプロジェクトの進め方』 対談バックナンバー
プロジェクトは発酵させよ!「発酵文化人類学」の著者が語るその意外な共通点とは(2018.05.22)

今の時代に求められているのは「ものさし自体のクリエイション」である(2018.06.01)

「マニュアル」を捨て「レシピ」を持とう(2018.06.11)

プロジェクトのようにドキュメンタリーを撮り、ドキュメンタリーのようにプロジェクトを進める(2018.07.17)

「子育てプロジェクト」はキャリアアップのチャンス【マドレボニータ・吉田紫磨子×前田考歩】(2018.08.22)

「物語」はプロジェクトを動かす原動力になる(2018.09.20)

“最大の効果を出すチーム”は、管理ではなく会話でつくられる【ピョートル・フェリクス・グジバチ氏 前編】(2018.09.27)

結果が出る楽しい会社は信頼関係がつくる(2018.09.27)

日本人には会議を進めるOSがインストールされていない?【ナガオ考務店・長尾彰さん】(2018.10.22)

コミュニケーションは「コスト」ではなく「インベスト(投資)」である(2018.11.8)

子育て経験は最高のプロジェクト管理シミュレーションである(2018.11.15)

仕事を楽しみ、仕事で遊び、「自由な働き方」を手に入れる(2018.11.22)

動画による社内エンゲージメント向上プロジェクトは、どう進んだのか?(前編)(2019.02.18)

動画による社内エンゲージメント向上プロジェクトは、どう進んだのか?(後編)(2019.03.12)

いいプロジェクトとは、次に生まれるものの種が見つかるプロジェクト【安斎勇樹×前田考歩 前編】(2019.03.12)

「答えのない「問い」は、創造的コミュニケーションを生む触媒【安斎勇樹×前田考歩 後編】」(2019.05.30)

「人々の生活や街に溶け込むモビリティをつくる TOYOTA「未来プロジェクト室」の挑戦」(2019.06.4)

「ゲームデザインでもプロジェクトでも、「記録」が役に立つ」(2019.06.28)

APEXはなぜ熱狂的な顧客を獲得できたのか?POLAが実践するコミュニティマーケティングとは【前編】

APEXはなぜ熱狂的な顧客を獲得できたのか?POLAが実践するコミュニティマーケティングとは【後編】

SDGsプロジェクトの進め方、自社開発切り替えで道が開けたLIMEX

Follow Us