コラム

嶋野・尾上の『これからの知られ方(仮)』

第1回 広告は個人のものだった。

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キャッチやサンドイッチマンの先祖はバビロンに居た

嶋野:ここからは、広告の歴史を振り返って、いろんなお話をしていきたいと思います。改めて、広告の歴史がどうだったかを調べてまいりました。広告の歴史のほとんど――紀元前1700〜西暦1800年頃までなんですが、個人、もしくは家業が自分の手によってつくってきたものでした。

私たちのような広告を専門につくる“技術者”が登場したのは1800年以降でして、それまではずっと個人が自分の手で広告メッセージを考え、どんなメディアでどう伝えるかを考えていたのです。そういう時代が長く続いていました。

余談ですが、ゲーテや、国学者の本居宣長も自分の商品の広告は自分で書いていたという記録も残っています。

尾上:コピーと言うか、宣伝文句と言うか。すごい本が出たぞ、みたいなこと書いてたんですかね?

嶋野:まさにゲーテだったら、自分のこんな本が出版されて、こうだ、みたいなことを書いているし、本居宣長さんは薬もやっていたので、自分がつくった薬のコピー、薬の紙にいちいち書いて、売っていたという記録があります。

尾上さん、広告の原点って、どういうメディアから始まったか、知ってますか。

尾上:いや、特に知らないですけど、しゃべるとかですか。

嶋野:まさに、そこでして、広告の原点であるメディアって人なんですね。「人メディア」と言われるものがスタートで、めちゃめちゃ簡単な話で、人を雇って、自分の代わりにお店の紹介とかを大声で叫んでもらう人が、広告の原点と言われています。

具体的に言うと紀元前1700年頃のバビロンでは、ベイカーと呼ばれる声出しの人を雇って、自分のお店の前で売り込みをさせていた、というのが、自分じゃない――メディアとは媒体なので――媒体を使って紹介するというもののスタートと言われています。

尾上:これは、さっきのビラの話で言うと、どの店の前もベイカーがいて、めちゃくちゃうるさいみたいになってたんですかね。

嶋野:実は都市によって違っていて、ベイカーも免許制で人数が決まってて、組合制があったりとか、雇える店、雇えない店があったりして、特定の業種はいいとか……そういうことが記録には残っています。

尾上:なるほど、それが紀元前1700年。ヤバいですね。

嶋野:ぜんぜん知らなかったよね。

尾上:いまベイカーみたいなことって、八百屋さんとかはやってますよね。あれは自分でやってるのか、安いよって。(編集注※メディアを介せず、自分自身でアピールするものは広告にはカウントされません)。サンドイッチマンとかは?

嶋野:サンドイッチマンとかは割と近いのかな。厳密にいうと、店の前の人がベイカーで、店から離れる人はクライヤーという違う言葉の定義があるので、サンドイッチマンは後者の方かもですが。

尾上:はぁ!

嶋野:サンドイッチマンはクライヤーのほうから生まれたメディア。

尾上:じゃあ新宿の居酒屋の(客引きの)人とかですか。ベイカーは。

嶋野:近い近い。

尾上:いま、あんまり信頼できないかもしれないっていう。

嶋野:若干ね。

尾上:そんなこと言って高い値段なんだろ後で、みたいな感じに……。

嶋野:うーん、それは尾上さん、言葉を選んだほうがいいと思うよ(笑)

尾上:ちょっとイヤな思い出が(笑)

嶋野:なるほど(笑)

その後は街中にある大きな壁にメッセージを描いて、多くの人に情報を届ける、いわゆる屋外広告――世界最古の屋外広告みたいなものも生まれました。紀元前400年頃のポンペイ――噴火で埋もれてしまったんですが――そこにはアルバムと呼ばれる白壁があって、スポーツの試合日時とか、新しい浴場のオープン告知、織物、生地とかの販売の紹介などが赤い文字で並んでいたそうです。

街中は大きい目立つ壁ほど人気で、予約制になっていまして、期間を区切って販売――何月何日からはこの人の場所、それ以降は違う人――と、売り買いを回すようなスペースブローカーみたいな人もいて、文字を描く人とか消す人のような専門職もこのときから生まれてきた、みたいな記録もあります。

そのあと、ついに紙が生まれるんですね。紙が生まれてからは表現の幅が一気に広がり、チラシとかポスターが街中を埋め尽くしました。記録に残っている範囲でいうと、エジプトのテーベという都市で、紀元前1000年頃にもうパピルスによる広告ビラが残っていました。その内容がですね、個人が逃げた奴隷の行方を探すような広告が入ってまして。

なぜかというと、当時は奴隷は自由に買えるわけではなくて、奴隷の管理は所有者の義務だったんですね。逃げちゃうと大問題になるので、必ず逃げたら自分たちで探さないといけないと社会的に決まっていたので、ビラで、こういう奴隷がいて逃げたので探してください、みたいなものを告知していました。まさに広告が社会の鏡として、当時どういうふうに人々が生きていたのか、写し鏡として、調べる材料としても使われています。

その後、印刷技術が進化して、木版印刷や活版印刷が登場してきまして、ここからますます個人一人ひとりが自由に広告メッセージを発信する時代が訪れます。

10世紀末、中国、北宋時代ですが、山東省の針屋さんのものがありました。針を売っているお店で、クンフー(功夫)って言われる熟練の職人が、「うちの針はいい針ですよ!」というのを紹介したチラシが残っています。

わりと小さい、正方形のチラシではあるんですが、純粋にお店の名前とか、ここにあります、というのに加えて、まん中にかわいいうさぎの絵が載っているんですね。しかもそのうさぎが薬草を砕いているイラストがなぜか載っている。

なんで針屋の広告でうさぎが載っているのか、わからなかったので調べたんですが、うさぎというのは不老不死の象徴で、月のうさぎが薬を砕いていると中国では言われてるんですね。日本では餅つくんですけど、餅の杵とか臼が、中国では薬を砕いているように見えたらしくて、縁起がいいものの象徴としてうさぎをデザインしたチラシが、針屋さんのほうであった。

一方、1480年ごろイギリスで、カクストンという個人が、自分の出版した本の広告を自分自身でビラに印刷してばらまいた、という記録がありました。

尾上:このころはデザイン性に富んでいるという感じではなかった?

嶋野:ほとんどは文字のほうが多かったらしいんですけど、ヨーロッパではイラストがすごく発達していて、日本で言う引札というかチラシみたいなものが発達して、それをばらまくときにイラストが載っていたという話があります。

尾上:ふうん面白いですね。

嶋野:その後は新聞がついに登場するんですね。新聞広告は、広告の発展の上、重要な起点と言われてまして、一度に大勢に届くから影響力の高さがありました。それゆえにさまざまな規制をかけられたり、いろいろあったんですが、今なお残る広告の王道的手法かと思います。

記録に残っている最古の新聞広告は1625年のイギリスにありまして、歌の本の広告。これも歌をつくった本人が、自分で書いた広告を新聞に出していました。

初期の新聞広告のほとんどは、いまのような15段広告はなく、ほとんど3行広告や案内広告のようなもので、個人が自分たちの情報を公開したり、逆にこんな欲しい情報が欲しいです、みたいなことを情報交換する場として使われていたのが非常に多かったです。

具体的には紛失したものを探す依頼とか、お店の引受先の募集、結婚相手の相談、奴隷売買や、逃げた奉公人を探す広告とか、いまみたいにネット検索がない時代は、誰が何を欲しい、売りたいみたいな情報自体が貴重で価値があって、広告面自体も非常に人気があって、本編の記事と同じくらい、みんな広告を見ていたそうです。

尾上:アメリカだと、なんとかリストってありますよね。Webサイトで全部売っているっていう。名前忘れちゃったんですけど。不動産から情報から検索して売れる、という。そういうものに変わっていったんですかね。

嶋野:クレイグスリスト。

尾上:クレイグスリスト、はい。

クレイグスリストは何でも売ってる、ローカル情報交換…販売不動産が基本で、求人、出会い、個人広告など。ほかにも履歴書、会議などのフォーラムがある…。

嶋野:ほとんどの人は、ヤフーとか楽天とかAmazonとかで済ますじゃないですか、あとメルカリとか。そこの前身だよね。そういうのがなかったときにまとめたのが、いわゆる電話帳に近いところがあるんだよね。こういうとき誰に相談したらいいとか。

さて、その後、1920年代からラジオが世界中に登場します。初めは商業放送ではなく、影響力を恐れた新聞社からCM規制などの妨害もあったそうなんですが、結果的には圧倒的な伝達力とか、聞く人の想像力を刺激する言葉によって、人々の心をつかんだ、というふうに言われています。

さらには、テレビが登場して、広告のルールを変えました。みなさんご存知だと思いますが、音と言葉とビジュアルと動きをすべて兼ね備えた表現でして、映像という手法はいままでの広告よりも圧倒的にリアルで、クリエーティブな存在で、消費者はもちろん、広告主の心も踊らせました。映像広告という手法は、ネット全盛期のいまでもYouTubeなどを通じて、ますます今後も発達、発展していくかと思います。

そして、いまはもうみなさんおわかりのとおり、ネット広告が主流の時代が始まっています。しかしネット広告のあり方は今までのメディアとは全然違うな、というふうに私たちは思っています。

ネット広告も初期は、ダイレクトメールや、バナーとか、あくまで「枠」の中でメッセージを伝えるという意味では、従来の広告に近いものでありました。しかしSNSの発展後は革命的とも呼べる進化をとげました。その元となったのが「発信性」です。

そもそもインターネットは初期の頃からホームページをつくれば誰でも自分のメディアを持つことができたわけで、でも、それだけだと人はなかなか集まらなかったんですね。基本は検索されるのを待つ、もしくはわざわざ広告を打って、誰か来てくれるのを待つ。そういうふうなものが必要でした。

一方、SNSの登場がもたらしたものは、個人でありながら「発信性のあるメディア」を保有できるようになりました。情報を投稿したり伝えるだけではなくて、視聴者がいいね!やシェアをしてくれることで、情報自体がどんどん勝手に広がっていくと。いままでの受け身のメディアとはまったく違う強さ、意味を持っています。

だからこそ、われわれ広告プランナーも「バズ広告」や「UGC(User Generated Contents)」「投稿キャンペーン」など含めて、見ている側の行動やアクションを前提とした仕掛けをしたコミュニケーションをスタートしまして、広告が一方通行ではなく、本当の意味で相互、コミュニケーションになったんじゃないかと思います。

どうですか、尾上さん。

尾上:まさに僕らが働いている十数年で起きた一番大きな変化というか、僕が入ったときなんかは、わりとデジタル広告がいっぱい出ていましたが、そのときはソーシャルメディアはあまりなくて、ソーシャルメディアが力を持ち始めたのは2010年とか11年とか、そのくらいですよね、たぶん。

そのあたりで力を持ち始めてから一気にコミュニケーションのあり方も変わったな、というふうに認識してます。ユーザーとの協力プレイになっていったというか、こっちだけの発信じゃなくて。

いまはそれがより強くなって、もうユーザーのほうが声が大きいという状態になっているのが、なかなか難しく面白いところではありますよね。コミュニケーションといいながら、けっこうユーザー側のほうが強い状態が多い、という感じはしております。

嶋野:そうですね、それがまさに今回のテーマの、個人個人が広告の技術を持つ、というテーマにつながっていくのではないかと思います。

次ページ 「「知られるための」技術は、特別なものではない」へ続く

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