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コラム

嶋野・尾上の『これからの知られ方(仮)』

第1回 広告は個人のものだった。

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「知られるための」技術は、特別なものではない

嶋野:ちょっとここで話を戻したいと思います。テーマと逆になりますが、いつ広告が個人の手から離れてしまったかというと、それは1820年頃の第一次産業革命あたりがキッカケかと思います。

産業革命が生み出した大量生産時代は、同時に、大量の買い手を必要とする時代だと言えると思うんですね。企業はたくさんのものを作って、売ると。そのためには国中をカバーできるメディアを――当時は新聞広告がほとんどだったんですが――利用して、なるべく多くの人に知ってもらって、売る。それによって大量生産が可能になる、という循環をつくっていきました。それが今のような大企業によるマスマーケティングの一環として、そこからマス広告が始まった。

一方、SNS時代のいま、メディアは私たち一人ひとりの手にあります。さらにアイデア次第でどんどん広がっていくので、日本はもとより、世界中のみなさんに伝わる可能性さえあります。しかもお金もかけずに広がる。

これって、実は、さっきの話にもありましたが、ポンペイの壁で自分たちが一番目立つようにするにはどうすればいいかを考えながら広告文を書いたり、パピルスで書いたビラが、どうすればすぐ捨てられずにみんなに広がっていくのか、というのを考えたりとか、たった3行しかない新聞の枠で一番目に留まるにはどうすればいいのか、というのを一人ひとりが考えていた、過去の広告のあり方と同じような状況なんじゃないかな、と思いました。

だからこそ、いまこそ、広告の技術を商売やビジネスを始める一人ひとりが習得できるようになれば、個人の力で世の中に「知られていく」時代が始まる、と私たちは考えています。

私たちはこの連載を始めることで、ゆくゆくは書籍化することを考えています。そこで集まった技術とか、ノウハウとか、メッセージを伝えまして、それを、この技術を必要とされる、個人でビジネスや商売をされる一人ひとりの方に、お届けできたら嬉しいと思っています。それによって、素晴らしい商品やサービスがもっと世の中に知られれれば、社会のためにもなります。そう信じて、スタートさせました。

もう一度、言います。この連載でお伝えしたいことは、「知られるための」技術とは、決して特別なものではなくて、個人一人ひとりが持てるし、持つべきものだというふうに思っています。この連載をキッカケに、みなさんの素晴らしい商売やビジネスがもっと世間に知られることを願って、スタートさせたいと考えています。

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