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コラム

世界で活躍する日本人マーケターの仕事

世界で活躍する日本人マーケターの仕事(パナソニックセールスベトナム 高橋俊介さん)前篇

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【前回コラム】「世界で活躍する日本人マーケターの仕事(ウォルト・ディズニー・カンパニー 加藤匡嗣さん)前篇」はこちら

海外に出て活躍する日本人マーケターにオンラインでインタビューを実施する本コラム。インタビューを通じてコロナ禍の今、さらにAfterコロナの時代に、ブランドはどう行動していくべきか、そのヒントを探っていきます。7回目の“訪問”先は、ベトナム。ベトナムでパナソニックの生活家電のマーケティングを統括されている高橋さんに話を聞きます。ベトナムでパナソニックのマーケティングのあり方をどう変えようとされているのか、またコロナ禍だからこそ取り組まれた活動などについて伺います。

Panasonic Sales Vietnam
マーケティング・営業・コミュニケーション担当取締役
高橋俊介 氏

2001年 東北大学経済学部を卒業後、パナソニックに入社。入社同年に海外トレーニーとしてインドネシアへ赴任。その後、海外マーケティングのプロとして様々な家電商品、様々な地域でのマーケティング・販売戦略を担当。2018年、3度目の海外赴任でベトナムに赴任し現職。家電製品全般のマーケティング戦略、営業戦略をリードする。

 

実務経験もないまま、入社1年目からインドネシアに赴任

—ベトナムは高橋さんにとって初めての海外の赴任先なのですか?

高橋:いえ、ベトナムが初めての海外赴任ではありません。私はパナソニックに新卒で入社して以来、長く海外の営業・マーケティングに関わってきました。

私がパナソニックに入社した当時、入社1年目から海外に赴任ができる「海外トレーニー制度」というものがありました。私が入社した年には、同期入社の文系メンバーの半数くらいがこの制度に応募したと記憶しています。

赴任先については、ある程度本人の希望を聞いてくれるので、私は「発展途上国に行きたい」とだけ希望を伝えていました。当時は英語すら話せなかったのですが想いを汲んでもらい、インドネシア行きが決まりました。その年は14人が選ばれて、他の同期は中国、タイ、シンガポール、インド、イギリス、スペイン、ロシア、アメリカ、メキシコなどに赴任しました。実務経験もなく赴任する形だったので、4月に入社してインドネシア語だけを勉強して11月にはインドネシアに飛び立ちました。

—海外で働くことを希望していたのですか。

高橋:はい。私はこの「海外トレーニー制度」を魅力に感じてパナソニックに入社することを決めました。

学生時代のバイト先に、バイトをしてお金を貯めては、バックパックひとつ背負って海外を旅している先輩がいて、この方の影響を受けて海外に興味を持ちました。実際、自分も学生時代にバックパッカーとしてアジア各国やインド、中近東を毎回数か月もかけて回りましたが、楽しかったですね。

インドネシアには2年間、研修生として赴任しましたが、この2年が今でも海外で働く上での原体験となっています。パナソニックでは一般的に海外に赴任するとマーケティング部門に配属されて、日本の事業部とやりとりしながらマーケティング戦略を練って現地に落とし込んでいく仕事が多いのですが、私の場合は新入社員ということもあり末端の営業の仕事をやらせてもらえました。つまり、マーケティング部門が立てた戦略を実際に実行する部隊です。

当時、インドネシアで伸び盛りだったフランス系大手量販のカルフールを担当して、何も分からない中で駆け回りました。普段の店頭展示の維持、注文受注から配送アレンジまでの基本的な業務に加え、新製品の導入時には定番商品として仕入れてもらうための商談・プレゼンを実施、また各店舗の倉庫に滞留している商品がないかの確認や回収の取り立てといった泥臭いことまですべて担当しました。なかなか日本人は海外でこうした現場の最前線を体験することはできないので、現場の大事さを知るいい機会になりました。

当時、日本の家電はインドネシア市場では非常に強かったです。エアコン、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、ブレンダー、掃除機、ヘアドライヤーに至るまでパナソニックのほとんどの商品が20%以上のシェアを持っていたと記憶しています。当時は韓国勢もおらず、競合するのは他の日系ブランドでした。現在は競争環境も変わり、求められる戦略・人材が大きく変わっていると感じます。

次ページ 「「お前は何ができるんだ?」という部下の視線 実力で示すことが求められる」へ続く