嫌われ者になっている危機感 広告はどこに向かう?
私は2年前にJAAの専務理事に就任しましたが、そこで気づいたのが「広告」という言葉の定義がないことです。小林太三郎先生が残された素晴らしい広告の定義もありましたが、メディア環境が激変している中で、定義の刷新が必要ではないか、と。
加えて、私のマーケティングの恩師である村田昭治先生の言葉も定義策定の後押しになりました。先生はよく「マーケティングはエクスターナルな部分が脚光を集めがちだが、インターナルな部分も大事である」と話されていました。私たち、アドバタイザーはじめ広告に携わる人たちが、改めて広告という言葉の認識を共有することは、広告という存在のインターナルのコミュニケーションにもつながると考えたのです。
確かに、広告の定義は全く存在していないわけではなく、広告会社などの企業や研究者の方たちが設定した定義はありました。しかし、ややもすると手段としての広告の説明に終始している印象で、広告が社会に存在する意義や目的が定義されていないのではないか、と感じました。
おりしも、広告をはじめとするデジタル空間の情報の健全性が問題視されている環境でもあり、今年4月 には総務省から「デジタル広告の適正かつ効果的な配信に向けた広告主等向けガイダンス(案)」が発表されました (5月2日締切でパブリックコメントを募集)。残念ながら詐欺広告の問題など、広告という存在そのものに対する社会的なイメージが悪化してしまっていることは間違いありません。
加えて、一部のメディアではあるものの、生活者からの信頼を損なうような事象も起きています。メディアへの信頼が損なわれるということは、すなわち広告への信頼が損なわれるということ。改めて、人々を幸せにするために存在しているはずの広告の役割を目的で定義して発信をすべきタイミングだと考えました。
なぜ、その定義をアドバタイザーが中心になって発信すべきであると考えたかと言えば、やはり広告という産業のエコシステムの起点にいるのは、アドバタイザーだからです。アドバタイザーが投下した費用が分配される中で、付加価値が生み出されていく。だからこそ、JAAが発信すべきだと考えました。