必要なのは「手段」ではなく「目的」の共有 いま、アドバタイザーが「広告」という言葉を定義すべき理由

あるべき理想を提示し、実現を目指すアドバタイザーの宣言

今回は定義だけでなく、前段(広告業界の現状、およびアドバタイザー が広告を定義するに至った運び)と、アドバタイザー の宣言の3本立てで発表をしました。これはなぜ、いま広告の定義が必要なのかをより多くの人にわかっていただきたいと考えたからです。例えば、企業の経営層にも知ってほしいと考えています。

大手企業における広告費は総売上の1~3%が一般的だと思います。しかし、業績が悪いと削減され、コスト削減のバッファのように使われているのではないかという懸念もあります。経営戦略に取り込まれていないというか、意外と経営から遠いところにあるのではないか、と。しかしブランドセーフティをはじめとする、昨今のデジタル広告の取引の透明性に関する問題などは、現場の担当者だけでなく経営層にも理解が広がらないとアドバタイザーとしての対策につながっていかない。そうした意味で、広く定義を発信する意図を伝えたいと考えました。

加えて、偽・誤情報に基づく誇大広告など、消費者の権利を侵害するような悪質な広告が出てくる中で、理想であっても、広告のあるべき姿を伝えるべきだし、また実現に対してアドバタイザーの意思を示す必要もあると考えました。これが3つの文章から構成される定義を発表した理由です。今一度、アドバタイザーとしての矜持を示さないといけない。それは、またJAAにとってのブランド戦略になるはずだ、と。

アドバタイザーの宣言の中で「広告が公益性の一端を担うもの」と明示しましたが、この言葉は私たち、アドバタイザーの誇りだと思います。メディア環境が激変し、広告と生活者との関係性は難しい局面を迎えているからこそ、改めて手段ではなく、目的で広告という言葉を皆さんと考えるきっかけになればと思います。

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