サンダンス映画祭で日本人初の短編部門グランプリを受賞し、『WE ARE LITTLE ZOMBIES』や森七菜主演の『炎上』などを手がける映画監督・脚本家の長久允氏。そして、日本の公立小学校を題材にした『小学校〜それは小さな社会〜』で世界的な評価を受け、アカデミー賞・エミー賞ノミネートを果たしたドキュメンタリー監督の山崎エマ氏。
一見すると、フィクションとドキュメンタリー、脚本のある映画と脚本のない映画。両者の手法は対照的だ。しかし、共通点もある。2人とも、日本のローカルな題材や日常の違和感を起点に、世界へ届く作品を生み出してきた。
さらに両者はこの春、それぞれ著書も刊行。長久氏は『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』、山崎氏は『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』を出版している。
「個人的なものこそ世界に届く」。そんな共通感覚を持つ2人は、どのように日常を観察し、物語へ変えているのか。広告・マーケティングにも通じる “視点のつくり方” について語り合った。
「日本にだけ住んでいたら、気づけなかった」
━━山崎さんの『小学校〜それは小さな社会〜』は、完成までに10年かかったと伺っています。そもそもなぜ「日本の小学校」だったのでしょうか。
山崎:自分が公立の小学校に通って、そこから中高はインターナショナルスクールに進み、大学からアメリカに約10年住み、だんだん日本から離れていきました。大人になって改めて、「私は小学校で作られた」と気づいたんです。私の日本人な部分は、小学校の6年間で型取られた。当時は当たり前だと思っていた価値観が、自分の背骨になっていたんです。一方で海外の日本のイメージは “侍・忍者” “寿司” で止まっている。それならば「ここを見れば日本がわかるのでは」と思って、興味を持ちました。
━━ドキュメンタリーのトーンについて、批判的ではなく日本の教育環境についてポジティブな眼差しを感じました。
山崎:19歳で渡米したときは「もう二度と日本には戻らないかもしれない」と思っていたくらい、日本社会を息苦しく感じていました。でも海外に住むことで文化を比べられるようになって、電車が時間どおりに来るとか、普通に仕事しているだけのつもりが海外の人からは「責任感があっていいね」と言われることとか、通常営業が褒められるみたいなことが起きて。
それを振り返ったとき、小学校教育が自分にとってはプラスに機能していたと思えました。ニューヨークで生きていくための強さになっていた。だからその気づきを、自分なりに提供してみようと。
長久:僕は日本でずっと育ったから、この映画を見たとき「当たり前のことだな」と思ったんですよね。これがおもしろがられるということ自体が、日本人にとっての発見で、アカデミー賞やエミー賞という評価がないと気づけないことだから、すごくおもしろいなというか。
山崎:映画が完成したときも、日本の劇場や配給会社には「誰がこれを見るんですか」と最初は言われて。「フランスの小学校の子どもたちなら見ますけど」みたいな感じで(笑)。だから逆輸入という形で、戦略的に世界に出してから日本に届けたんです。
ナレーションなしで、なぜドキュメンタリーと呼べるのか
━━山崎さんの作品はナレーションがないですよね。これは日本では珍しいことだそうですね。
山崎:お客さんから「ナレーションがないのにドキュメンタリーなんですか」「ドキュメンタリーなのに笑えたんですけど」と言われて。まだまだドキュメンタリーの概念が狭い、という状況がありますね。
アメリカで学んだのが、ドキュメンタリーってもっといろいろな種類があるということ。欧米ではクリエイティブ・ドキュメンタリーという分野が爆発的に広がっているのに、日本にはまだあまり届いていない。そこをなんとかしたいし、自分がやることで少しずつ概念を広げていきたいです。
日本の報道ドキュメンタリーにはそれはそれで良さがあるんですが、クリエイティブ・ドキュメンタリーは、フィクション的な手法や音楽も含めて、見てもらうために魅力あるものにするというのが自分の考えの第一にあります。
ドキュメンタリー映画「小学校 それは小さな社会」の短縮版「Instruments of a Beating Heart」。本編23分の短縮版となる本作は「ニューヨーク・タイムズ」運営の動画サイトなどで配信されて、多くの反響を得た。日本ではNHKで放送。第97回アカデミー賞で短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。本編は2026年2月からNetflixで配信されている

