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世界で働く日本のクリエイターインタビュー――モーショングラフィックアーティスト 佐藤隆之さん

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単身海外にわたり、自らの道を切り開いてきた若きクリエイターたちは、いま何を考え、どんな未来を見ているのだろう。 今回お話を聞いたのは、ロサンゼルスで様々な映画タイトル、VFX、テレビCMなどを手掛けてきた佐藤隆之さん。世界的なモーショングラフィックアーティスト カイル・クーパーに憧れ、渡米。約10年にわたる挑戦のストーリーを聞いた。
(この原稿は、ブレーン6月号に掲載した「世界で働く日本のクリエイター」の記事を、アドタイ用の特別バージョンに編集したものです)


2012 SHOWREEL

憧れのカイル・クーパーと働きたくて

佐藤さんは1978年千葉生まれ。専門学校でCGを専攻しているときに、世界的なモーショングラフィックアーティスト カイル・クーパー(『Se7en(セブン)』『ミッション・インポッシブル』『スパイダーマン』など数々の映画のオープニングムービーを手がけている)の存在を知った。いつかカイルと一緒に仕事をしたい。そんな漠然とした思いを抱えながら、卒業後は日本でイメージスタジオ109に就職。その後Web制作会社に転職し、そこで得た技術で、自身の初代ポートフォリオサイト(OTAS.TV)を完成させた。

気持ちにひと区切りつき、次へのステップを模索し始めていた頃、留学誌の広告をたまたま目にする。その瞬間、アメリカ行きを決めていた。

渡米後はまず語学学校に入学。しかし、英語は大の苦手だ。語学学校の授業にもついていけなかった。当時は、英語圏以外の国の学生と英語で会話をするも若干恐怖を感じてしまうほど。このまま永遠に英語が話せないのではないかと頭を抱えていた。

その窮地を救ってくれたのはホームステイ先のホストマザーだ。毎日佐藤さんのために2, 3時間会話の時間を設け、ゆっくり丁寧に話をしてくれた。1年半後には話すことへの恐怖感はなくなっていたという。今でも佐藤さんにとっての大切な恩人の一人だ。

その後専門学校に通い、OPT(インターン用ビザ)を獲得してプロダクションに就職した。だがその直後にカイル・クーパーの会社Prologueからもオファーを受けることができた。迷った末、せっかくのチャンスを無駄にしたくないと、週末だけPrologueで働く生活を開始した。

ほどなくPrologueから正社員へのオファーももらったが、当時はまだ、指示されたことを辞書片手に一行一行読んでから作業するほどの英語力。かえって迷惑をかけるのではと怖気づき、そのときはオファーを断ってしまったという。

2年後、ある講演会でカイルに再会。仕事も英語力も自信をつけていた佐藤さんは、今度こそ、と作品のデモリールと情熱をつづった手紙を渡し、一緒に働きたい意思を伝えた。いくつかのEメールのやりとりがあり、正式に転職が決まった。長年の夢をかなえた瞬間だった。

Prologueに入社して何を一番学んだと思うか?と尋ねたところ、「仕事に対する“考え方”」という答えが返ってきた。はじめの頃はCG制作のスキルを学ぶことで精いっぱいだったが、そこを乗り越えると、チームワークや、効率とクオリティを両立する仕事の方法を考えるようになった。

Prologueでの仕事風景

「Prologueはチームワークによる制作が中心です。カイルの考え方、クリエイティブディレクター、アートディレクター、デザイナー、アニメーター、プロデューサー、それぞれの考え方を理解しながら、いかに効率よく高いクオリティを保ちながら作業を進めるかに次第に注力できるようになったんです。そのおかげで、クオリティのためだけに3Dをフルに使って時間をかけてしまったり、聞くべきタイミングに聞かずに作りつづけてディレクションと異なったものを作ってしまう…といったことはほぼなくなりました。常にバランスを考えてスピーディーに制作できるようになり、2年が過ぎた頃には逆に私の方から提案したり、アドバイスできるようになっていました」。

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2010年には社内のBest of Prologuer賞に選ばれた。カイル・クーパーと記念の1枚。

Prologueでは、仕事ができればできるほど、多くの仕事が舞い込んでくる。クリエイティブディレクターたちは一日で多いときは5~7件の案件を並行して進める。計画的に進行するスキルは必須だ。

「入社直後はアサインされた案件の量が多すぎて、どうしたらこの量をこなせるのか、恐怖感を抱きながら仕事をしていました。ですが作り方を効率化することで、制作時間を節約しながら結果は決してシンプルに見えない、むしろ時間をかけて作ったように見える方法を編み出し、制作時間とクオリティのバランスをうまく保つことができるようになりました。計画的に仕事が進められるようになり、プロデューサーからもスケジュール管理において信頼を置いてもらえるようになっていったんです」。

うれしいことに、尊敬するカイル・クーパーと一緒の仕事に当たる機会も多くあった。「最近では『オスカー』『トータルリコール』『バトルシップ』など。カイルのすごい点は、社長であっても積極的にプロジェクトに参加することです。よく夜中まで仕事をしている姿を見かけます。広い視点を持ち、得意なスタイルの仕事だけでなく、新しいジャンルの映像制作に挑んでいく姿勢を尊敬しています」。

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映画『テンペスト』(2010)アメリカで初めて携わった映画。VFXシーンを担当。

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米テレビ番組『Through the Wormhole』サイエンスチャンネルで放送されたテレビ番組のプロモーション映像を担当。

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2009年に放送されたMTVのビデオミュージックアワードの一部から。PrologueのCD イリヤ・アブルハノフとのコラボ作品。

80ページにおよぶ「人生計画書」

なお、佐藤さんのこうしたアグレッシブな行動の背後には、自身で作った「人生計画書」なるものがあるという。元々は、留学中に一時帰国した際に、これから「どこで」「どのくらいの時間をかけて」「どんなスキルを身につけ」「いつ・どこに就職し」「その間の予算の管理はどうするか」…といったことを考え、「留学計画書」を制作しようと考えたのがきっかけだ。

「カレッジに在籍中で、語学にも自信が持てず、今後の方向性にちょうど悩んでいた時期でした。この先どうなっていくか明確なビジョンを持てない中で、自分自身を知るために自分に質問をしてみたり、美術学校や会社のリサーチをはじめました。それをタイムラインに沿って自身のスキルや予算面の管理などと織り交ぜ、パワーポイントにまとめていったのです。例えばカイルと一緒に仕事をするために、アメリカの美大に4年間通うとする。それは時間的にもリスクがあることに加え、予算面では家を一軒買えるほどの大きな借金になるので現実的ではない…といったことがわかりました。こうして計画書を書きながら、さまざまな不明点を徐々になくしていったんです」。

その留学計画書は5年間80ページにおよぶ大計画書となり、それはそのまま「人生計画書」となった。昨年久しぶりにその計画書を開いたところ、ほぼ計画通りのタイミングでPrologueに入り、予定していた貯金額などもほぼそのままだったという。

つい最近、佐藤さんには新たな転機が訪れた。家族の看病のため、日本に帰国したのだ。アメリカで映像だけに没頭してきた日々とはまた違った視点で、改めて今後の自分や家族、仲間との人生のあり方を考える時間となっている。アメリカでの仕事はどうするのか、日本をベースに切り替えるか、まだ答えは見えていないが、Prologueで過ごした3年半の時間はかけがえのない財産だ。

「夢を抱くことはとても重要です。たとえ失敗をしても、その先にゴールがあると思えるなら、あきらめずに頑張ってほしい。時間は確実に過ぎていきます。思い通りにことをこなしてくために十分な時間がないこともある。だから、その日の内に少しでも前に進む試みをすることが自分のためになるのだと、いま改めて思います」。

世界でモーショングラフィックスを学び、日本に世界の(もしくは様々なスタイルの)モーショングラフィックスを研究し、教育できるような機関を作りたい、と元々考えていた。日本に来たのを機に、徐々にその構想を具体化しているところだという。今後アメリカで仕事をするのか、日本に戻ってくるのかの答えを出すのはこれからだが、常に自身の人生を強い意志を持って創造してきた佐藤さんのこと、最適な答えを自分の力で見つけ出すことだろう。


プロフィール:
佐藤隆之(さとう・たかゆき)
1978年千葉県生まれ。99年専門学校を卒業後、イメージスタジオ109、ユナイティア(現IMJ)を経て、04年渡米、LAの美術大学でモーショングラフィックを学び、アメリカの映像プロダクションに就職。その後Prologue Filmsにて映画のタイトルシーケンス、VFX、テレビCM、番組用グラフィック制作などを手がける。最新作は映画『オブリビオン』(タイトルロゴとエンディング)、『G.I.ジョー バック2リベンジ』(オープニング)。OTAS TV(http://www.otas.tv/)主宰。