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コラム

ビデオコミュニケーションの21世紀〜テレビとネットは交錯せよ!〜

広告は嫌われている、という錯覚について

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ネットは欲望を喚起します!と言ってほしい

私が突っ込みたくなったのは、田端さんが好きだというウィルキンソンは何で知ったの?そしてハイボールはどうして好きになったの?ということです。井川遥に「ウィスキーがお好きでしょ?」と言われたり、ウィルキンソンのCMを見たからじゃないの?田端さんだって、十分広告に欲望を喚起させられたことはあるはずですよ。

つまり、Amazon Dash を広告ととらえても、欲望の充足が広告だと言ってもいいけど、それもこれも、広告が欲望を喚起した上での話なんです。

広告を見せるだけでは足りないから欲望の充足まで頑張ろう、その中にAmazon Dash Buttonも導線の一つに加えよう、とか考えたっていいしそれがコミュニケーションデザインというものなんですけど、忘れちゃならないのは、その起点として広告による欲望の喚起は必要なんですよ。

広告は欲望の喚起を忘れちゃいけないんです。それができた上で、さらにその欲望の充足まで面倒見ますよ、という流れでいかないといけない。

充足だけが広告の役割だなんて言ったら、それは広告じゃないんです。Amazon Dashを広告の流れの一部だと言うのはありですけど、それ単体では広告にはならないんです。ものすごく便利になった注文スイッチですからね。

そして、ここがいちばん言いたいんですけど、欲望の喚起は古いのでうちらは欲望の充足をやりますんで、とか言ってるから、ネット広告はお金が取れないんです。欲望を喚起しなくてなんで企業がお金を払うんでしょうか。市場を広げる手伝いしますよ、と言わないとお金取れるはずないですからね。

さらに言いたいのは、ネット広告がお金取れるようにならないと、ネット上のコンテンツにお金が回らないんですよ。アドタイの原稿料だって上がらないじゃないですか。充足とか意識高い系なこと言わないで、これからネットは欲望を喚起します!って、力強く言って欲しいんですよ。

また、この議論に関連して、面白い動向がありました。先日、5月22日にJAAA主催の「動画広告フォーラム」を取材した中で、見逃し配信サービスがぐんぐん伸びている話が出てきました。

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