コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

ニコ動時代の経験が、映画『一度死んでみた』の劇伴に活きている(ゲスト:ヒャダイン)【前編】

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ニコ動時代に分かった「なんちゃってでもできるじゃん!」

澤本:「音楽の道で食べていく」って言いましたけど、僕がたぶんヒャダインさんのこと一番最初に知ったのって、ゲーム音楽をサンプリングしてYouTubeに流してっていうのなんですけど、あれはそのあとなんですか?

ヒャダイン:そうですね、ずいぶんあとですね。そのあと東京に出てきて、ひとり暮らしでバイトをしながら作曲家を目指してたんですけど、まあ飯は食えない食えない。食えないどころか曲も決まらなくて。「俺の曲だめなのかな」って思っていたんですけど、そのときに丁度ニコニコ動画が始まって「こういう風にアップロードもできるんだ」と思ったんです。

特に自分の中で自信がなかったのがアレンジと歌詞の部分だったので、昔のゲーム音楽に歌詞とアレンジをつけたリミックスみたいな状態にして、歌う人はいないから「まあ自分で歌うか」って歌をつけて投稿したら、すごいバズったんです。「自分の曲のレベルはそこそこ行けてるんだ」っていうフィードバックになった経験でしたね。

澤本:それ、すごい面白かったんだよね。

中村:大学3年生でニューヨークに行った時期以前からも、作曲とかは少しはやられていたんですか?

ヒャダイン:全然ですね。

中村:ええ!じゃあそこから作曲の勉強をし始めたんですね。すごいですね!

ヒャダイン:ピアノはやってたんですけど、曲づくりなんてほぼほぼやったことなかったですね。何でもいつからでも人間ってできるんだなって思いますけどね。

権八:小室哲哉さんのシンセサイザーを買って打ち込んだりするのはもうちょっと前ですか?

ヒャダイン:それは中学1年のときぐらいからですね。TKが作ったシンセがあって、それでいろんなアーティストのカバーをしてました。スコアブック買って「ベースってこういう動きしてるんだ」って1レーンずつ打ち込んで、聞いて楽しんで、みたいな感じですね。

権八:やっぱり興味があって、そういう遊びはしてたんですね。

ヒャダイン:そうですね。遊びばっかりしてましたね。

中村:確かに、ありましたね。ヒャダインさんとWeb野郎中村は同年代なんですけど、中学ぐらいのときがまさに小室全盛期で。「日本は小室に征服されている」みたいな時代のときに、完全プロデュースしたシンセサイザーみたいなの出てましたね~。あれか。

ヒャダイン:まさしくそれですね。そういう風にいろんな曲をカバーしたりとか、ニコ動の時にはいろんなジャンルの曲をライブ感覚でやってたんですよね。「自分はこのジャンルできるかな?あのジャンルできるかな?」みたいな感じで、結構無茶なこともやったりして。でもそれで「なんちゃってでもできるんじゃん!」ていうのが分かって、「なんちゃって」を繰り返していったら仕事になっていって。

今回の『一度死んでみた』のBGMもいろんなジャンルの音楽があるんですけど、昔から決して本格的ではないかもしれないけどいろんな曲のジャンルにトライしていたからこそ、こうやっていろんなジャンルにタッチができるようになったというのは、昔取った杵柄なのかなと思いますね。

次ページ 「『一度死んでみた』は音楽に貢献してもらう作品に」へ続く


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