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グランプリはこう狙え!——グランプリ受賞者特別座談会①

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昨年は48万通の応募があり、年々グランプリ受賞のハードルが上がっている宣伝会議賞。過去3回の激戦を制したグランプリ受賞者たちに、受賞の秘訣を聞いた。

グランプリ受賞でコピーライターに?

――皆さんの応募のきっかけについて、教えていただけますか。

高崎 真梨子 第51回グランプリ受賞者

高崎 昨年グランプリを受賞した高崎です。電通のWeb&システム・ソリューション局で主にEコマース関連の仕事をしています。あんまりコピーとは関係のない世界にいます。学生時代は広告業界のことをあまり知らなかったので、宣伝会議賞のことも入社してから知りました。同期がみんな出していたので、私も出してみようと。「高崎はコピーが書けないね」と言われていて、自分でもそう思っていたので、最初はCMの絵コンテを1枚出しただけでした。

日野原 初めて応募したのは、大学2年生の時です。自分にはグランプリが獲れるんじゃないかという根拠のない自信があり、100万円欲しいなという下心もありました。元々キャッチコピーには興味があったので、自分の才能を確かめる腕試しのような気持ちでした。それからグランプリを受賞するまでの5年間で10本、100本、1000本と年々数を増やしていきました。

井上 僕は昔からコピーライターになりたいと思っていて、でもなり方が分からなかった。それから、宣伝会議コピーライター養成講座に通ってみて、そこで周りが応募していたので、自分も出してみたという感じでした。次の年に講座の同期が協賛企業賞を獲って、それがうらやましくて悔しくもあり、がんばろうと奮起しました。始めは10本でしたが、次の年は100本、その次の年は1000本出しました。僕は本気でコピーライターを目指していたので、何か目に見えるかたちでの評価がほしかったんです。

高崎 私の場合、「コピーを書こう」と意気込むと、逆に出てこなくて。恥ずかしながら、グランプリを獲った年も20 本程度しか応募できませんでした。考えても出てこないので、常に課題を頭の片隅に置いておいて、移動時間や普段の生活の中で、ふっと掴んだものを書きとめていました。その書きとめたものを応募するかどうかの基準は自分なりに持っていたように思います。このコピーを聞いたときに、他の人がどう思うのか、何かが変わるのかということを基準に考えていました。これは応募してみようと思ったものの一つが、あのコピーでした。

井上 慶彦 第49回グランプリ受賞者

井上 それはうらやましいですね。僕は書く環境を整えて、オンの状態にしないと書けないので。宣伝会議賞は実質2カ月間の勝負なので、空いている時間はひたすら考えていました。とにかく色々な方向性を出そうと、まず、ばーっと書いて、方向性を変えて書いて、また方向性を変えて書くということを繰り返しました。それと、自分の中で一番を決める「一人広告賞」をずっと続けていました。あとは審査員の方の顔を思い浮かべながら書いていたりもしましたね。

日野原 僕は課題が発表される9月まで待てなくて。例えば、旭化成のサランラップのように、毎年出ている課題を書きためたりしていました。ただ、実際に商品やサービスを使ってみないと分からないことが多いので、課題が発表されてから、商品に寄せるブラッシュアップをしていました。実際に使ってみて、商品のよさを知ると、それを世の中に伝えたいと思う。そうした「熱」がないと、コピーって伝わらないんじゃないのかなと思います。

井上 確かにコピーと熱は比例しますよね。その商品を知ったり、使ってみるほど愛着が湧いてきます。宣伝会議賞でコピーを書くという作業はそういう部分もありますよね。

日野原 良行 第50回グランプリ受賞者

日野原 僕はとにかくグランプリが獲りたかったんです。大学や以前の職場では大きな仕事ができていなくて、仕事以外の人に対して、自分の存在とか、頑張っているんだということを伝える手段がなかった。グランプリを受賞したことで自分の名前がたくさん露出されて、周りの人にアピールできました。コピーライターの方に自分の名前を覚えてもらったことで、現在の職場への転職にもつながりました。転職はグランプリ受賞のおかげですね。

井上 僕も現在いる職場は、グランプリを獲ってなかったら行けていなかったと思います。グランプリを受賞したという実績は、転職活動で活用していました。広告界限定だとは思いますが、転職活動の面接の時には、話のきっかけになったり、それで盛り上がったりしましたね。実は、コピーライターになりたかった当時の自分にとって、宣伝会議賞は早くクリアしたい、卒業したい存在だったんですよね。それで実際にグランプリを受賞してみると、名刺にもなるし、獲ったからこそ言えることもある気がします。人生が180度変わるというわけでないですが、素人だった自分には、コピーライターに近づいているんじゃないかという自信にもなりました。

高崎 それはすごく分かります。威張りたいとかではないですが、広告の業界にいると、賞を獲って初めて言えることがありますよね。私は、その後これといった環境の変化はないです。でも、元々言葉や発想のスキルを磨きたいとか、周りをびっくりさせたいという思いがあってこっそり応募し続けていたので、受賞した時は、周りがすごく驚いてくれて嬉しかったし、苦手だと思っていたコピーで賞を獲れたことは自信にもなりました。普段、社内ではマイナーなキャラなのですが、声をかけられることも増えました。

「グランプリはこう狙え!——グランプリ受賞者特別座談会②」へ続く

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高崎真梨子(たかさき・まりこ)
宣伝会議賞 第51回グランプリ受賞者。2011年、電通に入社。初任配属よりプランナーとしてEコマース分野に携わる。化粧品や保険、旅行会社などを担当している。好物はカレー。
日野原良行(ひのはら・よしゆき)
宣伝会議賞 第50回グランプリ受賞者。ズームデザイン退職後、電通ヤング・アンド・ルビカムに入社。コピーライターとして数社のクリエイティブを担当。
井上慶彦(いのうえ・よしひこ)
茨城県生まれ。宣伝会議賞 第49回グランプリ受賞者。NAKEDInc.を経て、2014年3月より電通入社。現在はコピーライター/コンテンツ・リサーチャーとして、飲料メーカーを中心にソーシャルリスニング業務を担当。