コラム

100万人のメディアを潰した男、キュレーションを語る。

ウソ、大げさ、まぎらわしい?キュレーションメディアが抱える課題

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『アドタイ・デイズ 2013』に桜川さん登壇
アドタイ初のリアルイベント。広告界の未来を構想する2日間
テーマ:情報流通の変化とこれからの広告

その情報、裏は取れてる?

キュレーションメディアの登場により、誰もが簡単に情報を整理、編集して人々に届けることができるようになりました。しかし、埋もれていた情報に光が当たるようになった一方で、まだまだ課題もあるのも確かです。
そこで今回は、キュレーションメディアが抱えている課題について触れたいと思います。

ご存知の通り、ネット上の情報は玉石混交です。個人の単なるつぶやきのような、他人にとっては必要ではない程度のものならまだしも、間違っている情報もたくさん流通しています。いわゆるデマの問題です。

テレビで芸能人が、Wikipediaの自分の項目について間違いがあるという笑い話をすることがあります。それにも関わらず一方で、若い記者の中にはWikipediaに書いてある情報をもとに取材する人という話も聞きます。ネットリテラシーがある程度高い人なら、Wikipediaには誤りがあることも知っているので、参考にしつつも「裏を取る」のが常識なのですが…。プロの編集者や記者の世界でもこういう話があるというのは、残念なことです。

また、震災の時には誤った情報がTwitter上で拡散してしまったことがありました。ここでも「裏を取る」ことをせずに、デマの拡散に加担してしまったプロの編集者や記者が少なくなかった。身の危険を感じる中で通常通りの判断がしづらい状況だったとはいえ、メディアで働く人間さえも過ちを犯してしまうことはあるわけです。

キュレーションメディアは一般の人にも、情報を編集して伝達させることができるツールです。「裏を取る」ことも仕事であるはずのプロでさえ、ときに誤ってしまうわけですから、一般の人が誤った情報を伝達してしまう可能性は大いにあります。デマを拡散させないためにも、キュレーターは情報を決して鵜呑みにせず、しっかり裏を取り、騙されない眼を養う必要があります。

「編集」は恐い

テレビのニュース番組のなかで、その時々の政治や経済の問題について、世間の声を伝えるために、新橋などで撮影した街頭インタビューが流れることがあります。あれを見ていて本来の世論とは真逆のことを伝えることも可能だよなあ、って思うことがあります。いわゆる情報操作の問題です。

「編集」とは情報を「伝えること」でもありますが、同時に「伝えないことを決めること」でもあります。テレビの街頭インタビューでは賛成意見も反対意見も公正に報道していると思いますが、悪意を持って編集するなら、反対意見だけを流すこともできるわけです。
人は案外流されやすい。賛成派の人でも、世間は反対意見が主流と思わされてしまえば、いきなり反対に振れることはないでしょうが、少なからず気持ちがブレることはありえます。そういう偏った報道を続けることで、世論があるとき一気に反対意見へ振れることがないとは言えない。戦時中、国民に都合のいい事実だけしか伝えなかった、政府による情報操作はその最たるものです。

ここまで極端なことはないにしても、「編集」はある程度の「恣意性」を持ってしまうことは事実。世の中にある情報は、誰かの編集が介在することで、恣意性が生まれる。それは紙もテレビでも、キュレーションでも同じです。恣意性が悪いということではありませんが、すべての編集者は「編集とは恣意的である」ということを自覚することが重要です。
編集が持つ恣意性を把握し、「編集は凶器にもなりうる」ということを知っておくことも、キュレーターには必要な素養だと思います。

「編集リテラシー」向上のために

ここまで考えて思うのは、結局はリテラシーの問題だということ。「裏を取る」のも「恣意性に配慮する」のも、紙の編集部やテレビの制作部が、ときにミスも犯しながら、長い間に蓄積してきたために生まれたリテラシーです。
キュレーションメディアは登場したばかり。リテラシーが育つにはまだまだアウトプットの量が足りません。よりアウトプットに磨きをかけるためにも、仕組みや環境を整えていくことが、僕らのようなプラットフォーマーに課せられた課題だと考えています。


※アドタイ初のリアルイベント「アドタイ・デイズ」に桜川さんがパネリストとして登壇します。
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