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「ギブ&テイク」の行く末は、幸福か疲弊か。 — #4 give&givenの法則

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「take&taken」は疲弊を生み、「give&given」は幸福を生む。

ここらで冒頭の問いに戻りましょう。ビジネスでは「ギブ&テイク」の関係が当然、という話をしました。しかしその多くは厳密にいうと「テイク&テイクン(take&taken)」、つまり“利用し合う関係”なのではないでしょうか。

その人と関係を持つことは、会社にどれだけメリットがあるのか。利用価値はあるのか。お金は生むのか。つまり目的はお金であり、人間関係は手段にすぎません。手段はいつでも交換可能だからこそ、人間関係はある種ゲーム感覚で随時最適化され、“いかに相手を利用できるかを競い合う”ことが当たり前になっていないでしょうか。

でもみんな本当は「お金こそが手段に過ぎず、目的は幸福になること」であり「その幸福には豊かな人間関係が欠かせない」だなんてことはわかりきっている。なのに、気づけばお金を稼ぐこと自体が目的化し、相手に利用されまいと相手を利用してしまう。その行く末は、幸福ではなく「疲弊」のように思います。

そうした中で、僕が郡上カンパニーで体感したのは紛れもなく“与える”ことからはじまる「ギブ&ギブン(give&given)」の関係でした。相手を心から尊重・信頼して、まず自らが与えること。相手はそれを一方的に利用・搾取するのではなく、良心というものがあればこそ、必ずや“有り難み”“受け取ってばかりの申し訳なさ”を感じます。そうして次第に、いまの自分にできることを精一杯差し出して返そうとする。そんな“与え合う関係”の間には、人を想い・想われる中で感じる幸福感はもちろんのこと、好意のお土産や口コミなど様々な副産物が生まれ、その中のひとつにお金も結果的に含まれます。この幸福な逆転現象をgive&givenの法則と呼んでいます。

経済を回す、という視点に立てば同じなのに、その動力や人間関係の在り方は真逆のこの考え方。もう少し、世界はそうやって回ってもいい。思い返せば、子どもの頃はもっと「あいつと遊びたいから」「あの子が好きだから」というピュアな気持ちで人と関わり、誰かと何かを分かち合う喜びがありました。しかし大人になるにつれ、人と関わるにも何か理由が必要になったり、お金が絡んだ利用し合う関係に悩まされたり。僕らはいつしか、人付き合いが下手になっていくのかもしれません。

…と、これだけ偉そうなことを書いておきながら。僕は結局、郡上での事業プランはつくれませんでした。でも僕やチームメンバーがお返しできる精一杯として、「事業ではなく授業ならつくれます」とか言って、郡上市内の小学校と一緒に「桜」を扱った授業の設計に現在携わっています。この記事がアップされる頃にはまた自費で郡上を訪れていることと思いますが、そんなこと、この取り組みに参加するまでは考えられませんでした。今まさに、自分の身に起きている変化を楽しんでいる真っ最中です。

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