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コラム

監督はCMの夢をみる

「ベストヒットUSA」に夢中だった青年が、音楽モノの演出で有頂天に

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【前回はこちら】撮影途中でまさかの監督交代。涙の中華料理店で得た「教訓」

ミュージックビデオ全盛時代の到来

涙の監督交代の後、僕を交代させた電通のクリエイティブディレクターFさんがひとつのチャンスを与えてくださいました。本来僕が監督するはずやったCMの曲のフルバージョンのミュージックビデオをつくる、という仕事です。監督交代でかなりダメージを受けてた僕でしたが、そのFさんが挽回のチャンスを与えてくださったことに涙が出そうになるほど感激したのを覚えています。

1980年代のことです。アメリカからミュージックビデオの波が押し寄せていました。マイケル・ジャクソンの「スリラー」に代表される、映画でもCMでもない新しい映像コンテンツを一流の映画監督たちが手がける。それが小林克也さんの番組「ベストヒットUSA」などで紹介されるのを、僕は食い入るように見てました。そのどれもが、どうやってつくってるのかまったくわかれへん斬新な映像でした。

アメリカのヒットチャートを紹介する番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日系)。地上波での放送を終了したのち、BS朝日で復活し現在も続いている

よし、Fさんからいただいたこのミュージックビデオの仕事、なんとかして「ベストヒットUSA」レベルの作品をつくったろ! と決意し僕の隣に座ってた、会社の「映画研究会」で仲良くさせていただいていたカメラマンなりたての瀬野敏さんに声をかけました。

瀬野さんも僕も当時衝撃的やった映画「ブレードランナー」に代表されるような「近未来もの」が大好きで、この仕事にふたりでのめり込みました。地球ではないとある惑星でのひとりの謎の男を主人公に描いたこのミュージックビデオ。その中で夜空に大きな地球が浮かぶ砂の丘陵を古いテレビを抱えて謎の男が歩く、というシーンがあったんですが、これは当時東北新社の誇るビデオ編集ユニット「テレビテクニカ」のVTR技術によるものでした。

社内の若手による「映画研究会」の合宿。中央が筆者、後ろが瀬野カメラマン

「そうか、フィルムと違ってVTRやったら目の前で画面をつくっていくことができるんや」。フィルムでの作業やと地球を合成するにしても現像所のオプチカルという画像合成の達人にお願いするしか方法はなくて、発注側にも相当な経験が必要でした。でもVTRやと目の前で絵作りができる。「VTR、これはなんかあるな」とこの時思いました。

ただ、当時の「テレビテクニカ」のVTR技術はアナログVTRベースのもので、「ベストヒットUSA」ものとは大きな隔たりがありましたが、この時VTRのプロセスに大きな可能性を感じていた、ということは今となっては僕にとって大変重要な意味がありました。

そうやって完成したこのミュージックビデオ、なんとあのFさんが絶賛してくださいました。Fさんもどこか僕の監督交代についてはなんらかの思いをお持ちになっておられたんとちゃうかな、とその時感じました。

スター監督が続々台頭の一方で、突撃インタビュアーの僕

さて、Fさんに認められたとはいえ、その後ぽんぽん仕事が舞い込むわけではありません。先輩に付いて企画作業をやらせてもらったり、元師匠のCM作品の「店頭用VTR」を演出させてもらったり、の毎日でしたが、頭の中は「ベストヒットUSA」でいっぱいでした。

ある車のCMの仕事では、もちろんCMのディレクターをやらせてもらうわけではなく、プレゼンテーション用のVTRの収録で環八の用賀付近にあったカフェレストランの駐車場に陣取り、そこに入ってくる特定の車種を強引に止めて、乗っている運転手さんに「なんでこの車に乗ってるんですか?」っちゅう失礼な突撃インタビューをする、というインタビュー映像のインタビュアーを任されたりしました。

頭の中には「ベストヒットUSA」、やってる仕事は突撃インタビュアー。道のはるか前方には当時「CMランド」というめちゃめちゃかっちょいいプロダクションにおられたディレクターの高杉治朗さん、木村俊士さん、そして新進気鋭のスター李泰栄さんが疾走しています。

一方、TYOという会社では吉田博昭さんと、早川和良さんがピカピカ輝いてる。草間和夫さん、木村草一さん、高橋忠さんといったバリバリのディレクターがおしゃれな作品を連発、ギャグものでは川崎徹さん、関谷宗一さん、関口菊日出さんたちが暴れてる。市川準さんも暴れ始めた。まさにディレクター全盛の時代でした。

うーん、突撃インタビューなんかやっとったらこれは永久に追いつかれへんぞ、という焦りというか諦めに近いマイナーな感覚で錚々たるディレクターたちの活躍を眺めている日々でした。

ようやくチャンス到来! そこに落とし穴が……

そんなある日、某有名清涼飲料水を担当している若手プロデューサーの中山俊明さんからお声がかかりました。お! 俺にあの有名清涼飲料水の仕事が来たか!? と胸が踊ったんですが、ちょっと違いました。

「実はあの飲料をやっているマッキャンエリクソン博報堂(現・マッキャンエリクソン)のアメリカ人の社長さんが本国に戻られるんだよ。でね、CDの坂田耕さんが記念のVTRをつくってその社長さんにプレゼントしたい、って言うんだけど中島ちゃん暇でしょ?手伝ってくんない?」

僕に断る権利なんかありませんでした。そのビデオ、坂田CDのユーモラスな面白企画で溢れてたんですが、僕は銭湯に入る若者役とかいろんな役で出演させてもらったりしました。それでも車を止めての突撃インタビューよりずっとずっとおもろい。その作業の一つとしてもっとおもろい作業がありました。

その有名清涼飲料水は超メジャーブランドで膨大な撮影素材があったんですが、そのラッシュフィルムのNGテイクを民謡の「チャンチキおけさ」に乗せて編集する、と言う作業を任されたんです。ステインベックという当時は最新のフィルム編集マシンを使わせてもらい、音楽に合わせて絵をつないでいくんですが、これがめちゃめちゃおもろい。これわし向いてるわ! という感じでどんどんでき上がっていきました。

これをその企画の首謀者である坂田さんに見ていただいたところ「中島くんリズム感いいな」とお褒めの言葉。「学生時代音楽かなんかやってた?」。来た! 来ました! そうや、僕ビートルズになるために美大に行ったくらいのミュージシャン志向青年やったんや! 今まで忘れてた。

「はい! バンドやってました!」「今度さあ、学食でバンドが演奏してみんなが盛り上がる、っていう企画やるんだけどさあ、中島くん助監督で入る?」。え!? あの超有名清涼飲料水の演出!? ぜひお願いします! 僕はこうして坂田さんのアシスタントを務めさせていただくことになりました。

この作品はもちろん坂田さんのお力で見事に完成しました。アシスタントディレクターとはいえ、絵コンテを切り、現場の演出をやらせてもらい、得意の音楽編集をやらせてもらい、めちゃめちゃええ経験ができました。この作品を見た東北新社社長の植村伴次郎さんが「中島くん、何か手応えがあっただろう?」と誉めていただきました。さらにあるプロデューサーから「サン・アドの東條忠義監督が絶賛していたよ」と言ってくださいました。有頂天!

ハイこの有頂天、これが僕の人生の最大の弱点なんですわ。監督交代になったFさんの件も「俺は天才やからなんとかなる」という言われのない自信過剰が生んだ悲劇でした。今回もこの「有頂天」がもとで、作品完成後ふたつの大失敗をします。

次回は11月7日掲載)