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環境倫理学入門(2)環境問題としての尖閣列島

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加藤 尚武 京都大学名誉教授

表に「環境問題」と書かれたカードを裏返しにすると、裏には「資源問題」と書いてある。表には、「国際協力」、「未来世代への責任」、「自然保護」と明るい文字で書いてあるのに、裏には「国民国家」、「地政学的関係」、「資源ナショナリズム」と書いてある。「地政」はGeopolitik(地+政治)の訳語であり、悪名高いナチズムの基礎理論であった。国家は、それを拘束するいかなるより上位の機関も存在しない至上権である。殺人も侵略も国家固有の権限である。地図上にあるすべてのものは、国家の視野から見れば、侵略、占有、植民地化という文脈のなかにある。大陸棚の資源利用という観点からすれば尖閣列島が大陸に帰属することは地政学的真理であろう。

中国にとっての資源問題

図1

図1は、エネルギー白書2012に掲載されている世界の「一人あたりエネルギー消費量」の現状図である。

世界全体でみると、一人あたり石油換算エネルギー消費が、8トンの地域、4トンの地域、1トンの地域というように分かれている。この高、中、低の構造がなぜ発生しているかは、謎である。高と中の間の地域があっても、いいはずだということは言えるが、実状は、非連続的な段階構造になっている。

この図の中で、中から高へ進んでいる国は存在しないが、低から中へ進んでいる唯一の例が、韓国である。問題は、中国・インド・ブラジルが、韓国と同じように中位のエネルギー消費国に発展することができるかできるかどうかである。それぞれの地域の人口とエネルギー消費量の積を概算してみよう。

エネルギー高消費国(8トン) ――アメリカ3億人、カナダ0.3億人、オーストラリア0.2億人→28億トン
エネルギー中消費国(4トン) ――日本1.2億人、ドイツ0.8億人、フランス0.6億人、イギリス0.6億人 、韓国0.48億 →14.72億トン
エネルギー低消費国(1トン→4トン)――中国13億人、インド12億人、ブラジル1.9億人→26.9億トン→107.6億トン

これらはきわめて不正確な概数にすぎないが、エネルギー低消費国が、中消費国に発展するだけで、そのエネルギー消費は高消費国の3.8倍に達して、地球上の資源の限界を超えてしまう。そのことをもっともよく知っているのは、中国の指導者であり、知識人であろう。中国、インド、ブラジルというエネルギー低消費国が、すべて足並みをそろえて中消費国に発展することはありえないこと、中国が韓国並みの発展を遂げるためには、他国の発展を阻止することが避けられないことを彼らは知っている。日本人には、この中国人の直面している困難の重さが分かっていない。

現代中国のナショナリズム

2010年の3月、私は北京の町を歩いていた。有名な繁華街「王府井」の若者は最先端のファッションに身をくるみ、天安門事件の起こった場所に行けば警察官が完全に管理し尽くして、その事件の面影はどこにもなく、かつての骨董店街に行くと古い町並みが壊されて、骨董店の大半が姿を消していた。中国は動いているが、その活発な動きが解決すべき課題を解決することを拒んでいる。

「中国内部での貧富の格差の是正」「公正で安定した司法秩序の形成」「政治勢力の安全な交替の可能性」……。こうした中国社会の抱える課題を考えると、あまりにも複雑な変数の組み合わせのために解の成立条件が充たされることはないだろうという実感をもつ。

2011年の11月には、「日中哲学フォーラム」が日本の慶應義塾大学でひらかれた。私は「豊かさのゆくえ」という題で、経済成長が軍国主義に向かう危険について、リースマン(David Riesman,1909年-2002年)を引用して分析した。中国側からは社会科学院哲学研究所長の謝地坤教授が「国学ブームに対する哲学的考察」という発表をしたが、その内容は中国で「国学ブーム」という過激な文化ナショナリズムが起こっているが、西洋哲学の研究者である謝地坤教授としては、冷静に是々非々主義を貫きたいという趣旨であった。

1980年代中国の「新儒家」の思想については、中島隆博氏が「儒家思想と西洋近代思想とのアマルガム(合一体)」*1という評価を出しているが、謝地坤教授の報告では、むしろ「文化的保守主義、偏狭なナショナリズム」の危険を含むもののようであった。謝氏の報告から引用しよう。

 「改革開放の初期、中国大陸の圧倒的多数の知識人は皆開放的な心理状態で外来文化を迎えたが、すでに改革開放の成果を享受している現在、純粋な理論上の文化保守主義に対して一定の認識があるにもかかわらず、相当多くの人々が伝統文化の宣伝と復興に熱中しているうえに、更に儒家思想を伝統文化の唯一の内容と見なし、国を管理し人民を救う唯一の良い方法だとしている」(謝地坤「グローバルビューから見た民族文化――国学ブームに対する哲学的考察」)

1937年に発表された『国体の本義』(文部省編)は、日本のナショナリズムの精髄ともいうべき文章であるが、よく見れば西洋近代思想から原理を取り入れた跡がある。それと比べると現代中国の「国学ブーム」は、素朴な中国至上主義が沸騰点に達していると言えそうである。個人は「所得がある限度を超えると政治的になる」という説がある。

イギリスを代表する開発経済学者の一人、ポール・コリアー(Paul Collier,1949年-)は、「国民一人あたりの1日の所得が7ドルを超えると政治的に不安定になる」というユニークな意見を出している*2。「7ドル」という数字には、さまざまな異論があるだろうが、国民の半数以上が「1日1ドル以下」で生活している国が、政治的には独裁者のもとで安定しているということがある。