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関根光才監督の語るディレクター道「どんな映像をつくるかと、どう生きていくかは直結している」

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映像のつくり手としての責任を自覚

そこからさらに僕の心に変化をもたらしたのは、3.11 東日本大震災でした。ニュースは原発事故を報じ、CMはACのものばかりになる状況をテレビで見て、「この状況を引き起こしたのは企業ばかりではない。映像のつくり手として僕にも責任の一端があるはず」と思うようになりました。

僕らはテレビをつけると勝手に流れてきて、人に多くの影響を与えるメディアであるCMをつくり続けてきました。CMの中には、原発をPRする広告もあったことを考えれば、3.11は単なる自然現象でも、東電だけの責任でもないはずです。そんなことを考えているうちに、今度は映像を「誰かのためにつくる」というテーマを意識するようになりました。

そこで同じ志を持つ数人の映像作家と共に表現で社会や政治に向き合うアートプロジェクト「NOddIN」を立ち上げました。「NIP-PON」を逆から読んだネーミングです。第1作目の映像作品「IVAN IVAN」はチェルノブイリの原発事故を題材に、現地へ撮影に行きました。居住制限区域に住む農夫イワンが語る原発事故と、その風景を取材した映像です。

映像をつくって、流して、皆で見て話し合ったり。そんなことをしています。CMに比べたら、大して日の目を見ない活動ではありますが、これはつまるところ、自分たちが自分自身をどう取り戻すか、というトライでもあります。僕は広告を否定しているわけではありません。ただ、広告映像は、見る人の心のありように大きな影響力を持ったメディアです。広告は見る人のリテラシーに影響するし、見る人のリテラシーを要求する。そういう意味では広告は文化です。

広告は経済活動ですが、広告をつくることはそれを文化的な創造に転換するチャンスでもある。つくり手がそれを常に真剣に考えて、間違った使い方をしなければいいと思います。ディレクターから見ると、企画(エージェンシー)と制作(プロダクション)の間に「ここから先は関知できない」境界線があるように感じますが、その線は自分が引いているものです。僕自身、きれいごとばかり言えるわけではない。中には納得できなかった仕事もあります。

でも100本あるうちの1本でも自分が納得できるものがつくれたらそれでいい。僕にとって、映像を撮ることは、生きることとほぼイコール。だからこそ、人の何倍も考えてからつくることが大事だと思っているんです。

関根監督のディレクター道
 

  • コンセプトが自分の中で明確になっていないと、映像作品は浅くなり、見た人の心に留まらない。
  • 広告映像は、見る人の心のありように大きな影響力を持ったメディア。つくり手はその自覚を持った方がいい。
  • 仕組みや業界の慣習にとらわれない。超えてはいけない境界を自分で設定するな。

関根 光才(せきね・こうさい)
映像作家

1976年東京生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2005年、映像制作会社在籍中に、短編映画「RIGHT PLACE」を発表。2008年に独立。CM、ミュージックビデオ、ショートフィルムからインスタレーションアートに至るまで幅広く監督・演出し、国際的なクリエイティブアワードで多数受賞。アーティスト集団JKDCollectiveにも参加。アートアクティビズム集団NOddINメンバー。

 

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