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マットアーティスト上杉裕世氏と『シン・ゴジラ』樋口監督が対談 — 「eAT2018 in KANAZAWA」Powered by TOHOKUSHINSHAレポート

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東北新社が石川県金沢市にて、最新テクノロジーにより映像とクリエイティブを進化させていく未来型のプロジェクト「eAT2018 in KANAZAWA Powered by TOHOKUSHINSHA」を1月26日、27日に開催。初日には、東北新社の中島信也氏のモデレートのもと『スター・ウォーズ』シリーズなどを手がけたマットアーティストの上杉裕世氏と、『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督が登壇してのトークセッションが行われた。

左から中島信也氏、上杉裕世氏、樋口真嗣氏

大学時代からマットペインティングを志して

上杉:僕が在籍していた ILMは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を作るにあたり設立した特撮の集団。なかでも、コンピューターグラフィックに大きく貢献したのが『ジュラシック・パーク』(1993)です。以降、雪崩を打つようにCGの応用範囲が広がりました。でも映画は情報量が多いため、デジタル技術はテレビCMの方が7〜8年先行していたと思います。

中島:日清食品カップヌードルの「マンモス」篇を作ったのは92年で、ちょっと早かった。でも、実写をデジタルで合成したもので、まだ、CGは使っていなかったですね。

上杉:特撮には伝統のあるマットペインティングという技術があり、僕が大好きな『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』では、絢爛豪華なマットペインティングが使われました。マイク・パングラジオという職人が、画面のほとんどをリアルな絵で描き、実写とうまく合成していた。いまのデジタル技術だとあっという間にブレンドできますが、当時はフィルムで撮影して翌日に現像が上がり、その結果を見ながらギャップを埋めていくという忍耐力の求められる仕事。僕は武蔵野美術大学時代にマットペインティングに非常に心を惹かれて、この道を志しました。当時、8ミリフィルムで映画製作の真似をしていました。

仲間たちと自作機材で撮影・合成を

樋口:信じられないかもしれないけど、ビデオすらない時代ですね。

上杉:そうです。8ミリカメラを改造したモーションコントロールカメラを使って撮影していました。9割8分は失敗でも、気楽な環境で試行錯誤ができた。仲間も見つかって、共鳴しながら深みを目指せたのはラッキーでした。

中島:すごい。僕は90年にアメリカに行き、モーションコントロールカメラの実用的なものを使って、シュワちゃんの「アリナミンV」のCMを作ったのですが、当時、日本ではできなかった。

上杉:フィルムの合成に使うオプティカル・プリンターも、一つのピースから、全部アルミで手づくりしていました。

樋口:作った?えー!?

上杉:これをやりたかったんです。(マンモスと原始人の合成画像を披露)。肉の解体業者から、大きな骨や肉のかたまりをもらって、友達に原始人らしい営みをしてもらって撮影し、絵を描いて合成しました。(そのほか、数作品を紹介)

中島:すでに、マットペインティングがスタートしているわけですね。

ロッコ・ジョフレに自らを売り込む

上杉:この頃、僕はもう師匠を決めていました。1985年に東京国際映画祭が開催され、VFXという言葉が出てきた頃で、マットペインティングを代表してドリーム・クエストのロッコ・ジョフレが来日。そこで僕は、ロッコに手紙を渡したんです。作品を作って送るので見てくださいと。運良く、何回目かのやりとりで「卒業したらうちにおいでよ」と。

中島:すごいね。まあ、これは採用するかもしれないね。

上杉:でも誤算があって、ロッコはドリーム・クエストを辞めて自分でスタジオを始めた。結局はそれも、僕にとっては、いい方に作用していったのですが。

樋口:ドリーム・クエストは、『トータル・リコール』を手がけたところ。
 
上杉:『アビス』もそうです。ドリーム・クエストに憧れたのは、『未知との遭遇』のファースト・アシスタントだった連中が、もう、おじさんの時代じゃないよと作った会社で。樋口さんも、よく言っていましたね。

樋口:あの頃は、私も若かった。

上杉:僕は、「上の世代が死ぬのを待っています」と言ってました(笑)。いまはもう、見事に樋口さんの時代になっている。ガレージで始めたという彼らのマインドも含めて、すごく憧れる部分があった。

樋口:ロッコのスタジオでは、いきなりマットペインターに?

上杉:アシスタントですね。ロッコのところは半年だけで、日本のIMAGICAを経て、ILMに。ILMで一番最初に関わったのが、ショーン・コネリー出演の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』。そして、僕のなかで大きくステップアップできたのが、デジタル合成の最初のマットペイングショット、『ダイハード2』のエンディング映像です。2回目の大きなステップアップは、三次元表現へ進化させることに成功した『スター・ウォーズ 特別編』内のモス・アイズリー(巨大宇宙港都市)の俯瞰ショットでした。

樋口:コンピュータへの移行は、結構早くからやっていますよね。

上杉:それまでは、こういうタイプの仕事は、一人のアーティストが主導権を持ってやる仕事ではなかった。でも、僕はジェネラリスト的なアプローチとしては早かったですね。いま、ここで見せているものはほとんど、一人でやっています。

「欽ちゃんの仮装大賞」で渡米資金を獲得

樋口:最初にロッコのところに行ったのは、何歳?

上杉: 大学を卒業した22歳。でも、お金は全部、8ミリフィルムの製作に使うような貧乏生活で、渡米にはお金が必要だった。
ということで、「欽ちゃんの仮装大賞」に出場。なんと優勝し、100万円を勝ち取りました。

樋口:ははは(笑)。上杉さんの人生は非常に面白いけれど、日本が誇る才能がアメリカに行ってしまった残念な話でもあった。でも、遂にそんな上杉さんが日本に帰ってきたんですよね。

上杉: はい。2017年11月20日付で、オムニバス・ジャパンという会社に。

樋口:これから活躍の場を日本に移して、いよいよ世界レベルの仕事を日本でやっていくと。来年、再来年と、最新のお仕事を見せていただけたらと思います。そろそろ一緒に仕事ができるのではないかと思いながら、ここで締めくくりたいと思います。

次ページ 「eAT2018 in KANAZAWA 刺激に満ちたセッション」へ続く


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