コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

“ラジオ界のレジェンド”が降臨 若者を熱狂させた超人気番組の舞台裏(ゲスト:吉田照美)【前編】

share

あだ名はマッチ命名!?ラジオ界のレジェンドが登場

中村:今回は一応、WEB野郎中村がお呼びしたということになっているんですが。

権八:どういうきっかけだったの?

中村:タートルミュージックさんという、よくしていただいている音楽事務所の忘年会のパーティーで。

権八:望月(衛)さんね。

中村:そうそう、望月社長の。音楽業界やタレント事務所の方が、コロナウイルスの今やっていたら全員感染していたんじゃないか、っていうくらいの密集地で酒を飲みながら話をしていて……。

そうしたら誰かが「ラジオをやっているんですか?だったら吉田照美さんという方がいらっしゃいますが……」という話をして。すごい盛り上がったんだけど、飲みの席なんで「そもそもどなたとお話したんだっけかな」とよく分からなくなってしまい……。ただ、分かんなくなったけど、吉田さんの話を2人にしたら、澤本さんもぜひゲストに呼びたいって。

澤本:僕らからすると、大変な人だからね。

権八:洋基君はいつも飲みすぎて記憶なくすからだよ。

中村:まあ、そうなんですけど。

権八:洋基君が悪い。

中村:後から名刺見ても、単なる紙で。

権八:誰が誰だか分からない状態で、どうやってつながったの?それで、よくつながったね。

中村:結局、名刺を全部見返したんですけど分かんなかったんで、普通に東京FMから問い合わせてもらったら、吉田さんが快諾してくださいました。

澤本:ありがとうございます。

中村:聞きたいことは色々あるんですけれども、毎回ゲストの方にお願いしている20秒自己紹介をお願い出来ればと思います。この『すぐおわ』は、一応広告の番組なんですよ、吉田さん。

吉田:まあねえ。

中村:ということで、まずご自身の自己紹介をラジオCMになぞらえて、20秒間に合わせてやってみていただけませんか、という無茶ぶりのコーナーです。

吉田:いや~、なんかアナウンサーの入社試験みたいで、嫌な思い出がよみがえってきますけど。こんなことをずっとやらされますからね。はい、いいですよ。

中村:いきます。ゴングが鳴ります。

権八:吉田さんに自己紹介させるって、すごいですよ。

吉田:いやいや、自己紹介は基本ですからね。大切なことですから。

権八:ありがとうございます。恐縮です。

中村:いきます。では。

吉田:は~い。

中村:どうぞ。

吉田:吉田照美と申します。1974年、昭和49年に小さいラジオ局のアナウンサーになりまして、それから46年目になるという恐ろしい今年なんですけども。バカバカしいこととか、くだらないことを今日までやってまいりました。

一同:ありがとうございます。

権八:短いですよね。

澤本:すみません、もう。

中村:この澤本、権八、中村もちょっとずつ世代が違っていて。それぞれ吉田さんにハマっていた番組や時代が、ちょっとずつ違うんですよ。

吉田:そうなんですね。

中村:まず澤本さんは?一番古いって言うとあれですけど。

澤本:そこそこ年なんで。僕は『てるてるワイド』なんですよ。

吉田:ああ、そうですか。ありがとうございます。

澤本:お会いするということで『てるてるワイド』について考えてみましたが、吉田さんが歌ってらっしゃったジングルがあるじゃないですか。

吉田:下手なんだけど、印象に残っているっていう人は多いですね。下手だっただけにね。

澤本:いや、下手とか、そういうのではない。

吉田:もうめちゃくちゃだったから。

澤本:そのジングルは、元々自分で?

吉田:いや、あれは完全にプロデューサーとディレクターが、「その方向性でやろう」と。とにかくあの番組が当たっていなかったら、今の僕はたぶんないと思います。はじめて当たった番組でしたね。

本当は深夜放送をずっとやっていたかったんですけど、28歳くらい、入社して5年目か6年目くらいのときに業務命令でね。ちょっと浅い時間の夜の9時からの番組っていうことで、白羽の矢を立てて頂いて。「たぶんダメだろうな」と思いつつはじめたんですけど。

今振り返ってみても、その頃の文化放送というラジオ局は何をやってもイマイチな状況だったんで、「僕なんかダメだろうな」って思ったら、プロデューサーが当時“鬼”という異名を持つ方で。“鬼の林山さん”という人と、番組がはじまる前に半蔵門にあるホテルのレストランで2人きりで話をして、「こういう心掛けをしてみろ」と色々言われました。番組自体は、「とにかく文化放送のイメージをかなぐり捨てた番組にするから」と。コーナータイトルも『ノッケからマルモウケ』とか。文化放送でそういうタイトルはあんまりつけないんですけど。

澤本:やっていましたね。

吉田:「とにかくおカネが儲かるよ、この番組」みたいな。要するに若い男の子が聞くように意識していました。妄想がワーッと広がるような。その頃はみんなカセットを持ち始めていた頃なんで、リスナーに録音を取らせるわけですよ。それが、『バスルームより愛を込めて』っていうコーナーね。

澤本:やってましたね~。

吉田:一般の素人の子がお風呂に入ってフリートークをして、最後にどこでもいいから体のパーツをパチンと叩くと。その約束事で、ノベルティを差し上げるというコーナー。ラジオは出てくる女の子を想像で自分の好みの女の子にして聞けるっていう特性があるんで。結構話題になったりしましたね。僕が受験生の頃も、中村メイコさんがロストバージンの経験談を女の子に聞く『私のロストラブ』という番組があったんですよ。

一同:へ~。

吉田:受験の頃に聞いていて、「こんなのラジオで喋るんだ」って。はじめて、いつ、どこで、どんな風にバージンを失ったかみたいなね。それをまんま真似をしたもっと短いコーナーで、結城モイラさんというハーフの綺麗な女性の方が、女子高生にそんな話を聞くみたいなコーナーもありました。

そんな作戦が功を奏して、最初「絶対負け戦だな」と思っていたのが半年経ったところで、あっという間に首位になっちゃって。それから3年間は全然揺るがなかった。まあ、敵も色々考えてくるわけで、3年経ったあたりから三宅裕司さん(『三宅裕司のヤングパラダイス』)が出てきて、ウチが2位になっちゃうんですけど。若い人は移り気だし、面白い、新しいっていうのが好きだから、その頃はすごく激しかったですね。

澤本:聞いていたら、ものすごいリアルに思い出しました。『大入りダイヤルまだ宵の口』っていう番組も。

吉田:そうですね。あの番組は僕の大学時代の先輩のくり万太郎さんや、高嶋秀武さんもやっていて、強かったんですよね。それで『夜はともだち』という番組を小島一慶さんと林美雄さんがやったりっていう……。そんな中ですから。

澤本:『マッチとデート』ってありましたよね。

吉田:そうですね。人気のあるタレントと局アナを絡ませると、局アナも多少人気がつくんじゃないか、みたいなね。それでプロデューサーの計らいで、五曜日ある内の最後の金曜日だけ絡ませてもらいました。

マッチ(近藤真彦)が僕のことを最初見かけだけで「ロバ」って呼んだことのひっかかりがよくて。番組をやっている間はずっと、リスナーからも「ロバ、ロバ」って言われていて。それは今にも続いているんですけど、命名して頂いた近藤真彦さんは恩人ですね。ラジオの場合は何か印象に残ること、ひっかかりがないと大して印象に残らないですから。

澤本:「ロバ」って、ずっと言われていたじゃないですか。あれはマッチが命名したんですね!

吉田:マッチですね。それからしばらくしてフリーになってから、右も左も分からないテレビの番組で、『夕やけニャンニャン』っていう番組に出させていただくことになりました。半年くらいしてから、僕の担当するときに大竹まことさんが入って来るようになって、おニャン子クラブの前でパンツとズボンを脱ぐって、今じゃできないような放送内容のことをやっていて。僕はそれを制止するわけですが、そのときに「ロバ」って、大竹さんからも偶然言われたんですね。だから、マッチとは違うところでも定着していきましたね。

次ページ 「秋元康考案のキャッチフレーズ「週の真ん中水曜日!真ん中もっこり」」へ続く

Follow Us