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コラム

広告の中の人 次世代を担う注目のタレント

【動画あり】ホラン千秋が“プロ級”にまで極めたアルバイトとは?女優までの道のり

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【前回コラム】「熱血スポーツ少女からモデルへ!西内まりやの素顔に迫る」はこちら

女優やタレント、キャスターとして、年々活躍の幅を広げるホラン千秋さん。アルバイト生活から転機となった米国への留学、2014年のブレイクに至るまで、困難を乗り越えてきた26歳の素顔に迫る。

足立:10代から芸能活動をされているんですよね。

ホラン:中学1年生の時に今の事務所のオーディションに応募したので、今年で14年目になります。

足立:応募したきっかけは何だったんですか。

ホラン:5、6歳の時にキッズモデルをしてから、ずっと芸能界への憧れがあったんです。元々、市民ミュージカルをやっていたんですけど、「お芝居とか歌を本格的にやりたいな、でも自信ないな」と思っていた時に、「応募してみたら」という母の声に押されて応募しました。

足立:最初の頃はどんなお仕事をされていたんですか。

ホラン:月刊の少女漫画誌の付録のモデルなどです。あとは、お芝居とかダンスのレッスンが多かったですね。

足立:2014年からお仕事が一気に増えました。ブレイクの年でしたね。

ホラン:2012年に『NEWS ZERO』でキャスターをやらせていただき、卒業してから、色々なお仕事をいただくようになりました。でも「ブレイク」したのかな?(笑) 今でも必死なので、あまり実感はないのかもしれません。ただ、10年近く仕事がない時期が続いて、ようやくお仕事がコンスタントに入るようになったので、すごくありがたいです。

足立:10年間は長いですね。

ホラン:その間は、アルバイトをしていました。アルバイト自体は楽しかったですけど、大学を卒業して、1日8時間ひたすらアルバイトをする日々の中で、「私は何をやっているんだ?」と悶々とした思いもありました。

足立:アルバイトはどんなことを?

ホラン:スーパーでのレジ打ちや品出し、スーパー銭湯の受付、お寿司屋さんのお茶出し、早朝のパン屋さんなどです。まかないとかパンの耳が目当てだったりもしましたが(笑)。

足立:ほとんど「食」ですね(笑)。それにしても、レジ打ちを8時間やっていたとはすごいですね。

ホラン:食べることが大好きなんです。レジ打ちはプロ級ですよ、すごく速いですから。

足立:レジ打ちの役がきたら完璧ですね。

ホラン:それはもう。いつでも待っています!(笑)

足立:ホランさんは、お父さんがアイルランド人、お母さんが日本人のハーフで、アルバイト先ではかなり目立ったんじゃないですか。

ホラン:そうなんです。しかも、スーパーでは名札が大きくて。当時も芸能関係のお仕事をしていたので、店長に名札の名字をカタカナから漢字に直せないですかと相談したら、「保嵐」になってしまい…。お客さんから「なんて読むの?」と尋ねられて、余計に目立ってしまっていました(笑)。

足立:今のブレイクを見ていると、苦労されていたのが意外です。

ホラン:苦労とは思っていなかったですね。確かに、仕事がなくて辛いとか大変という気持ちはありましたけど、そのすべてが今に活きています。こうして話のネタにもなるし、色々な経験をできたのはよかったと思っています。アルバイトをしていた頃は、現在の自分の状況を想像もしていなかったので、今でもテレビに出ている自分を見ても違う人を見ているようで、不思議な感じがしますね。

足立:その都度、状況を受け入れてきたんですね。

ホラン:以前は、仕事がない状況をなかなか受け入れられなかったんです。急に主役級の仕事が決まるとか、シンデレラストーリーを夢見ていました。受け身だったんですね。でも、20歳くらいかな、そういうことはもう起こらないなと気づいて。何かを大きく変えなければと思い、大学生の時に米国に留学をしたんです。今あるものを全部捨てて、新しい世界が見たかったので。

足立:留学してよかったことは?

ホラン:自分にはできないことがこんなにもたくさんあるんだと気づけたことです。演劇を勉強しに行ったんですが、英語でのお芝居は予想以上に難しくて。 台本を読むのだけで精いっぱいでしたし、コミュニケーションをとることさえ、大変でした。でも、それに気づけたからこそ、泥だらけになってでも、やりたいことに一生懸命になることが楽しいと思えたんです。留学していなかったら、いまだにアルバイト生活を送っていたと思います。それくらい、大きかったですね。

次ページ 「現在は女優やタレント、キャスターと色々な顔がありますが」へ続く