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SENSORS IGINITION 2016から見えてきた、デジタルとリアルの融合がもたらす価値

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スポーツとテクノロジーの融合 「テクノロジーが切り開くスポーツの未来」セッション

その中で筆者が特に印象に残ったのは、日本テレビの佐野徹氏によるセッション「テクノロジーが切り開くスポーツの未来」であった。登壇者はスポーツ庁参事官の由良英雄氏、元女子バレーボール日本代表の杉山祥子氏、データスタジアムの尾関亮一氏である。スポーツ庁は新設の省庁で鈴木大地長官が就任し、スポーツが新たな価値を生み出す時代を目指していることを由良氏が説明。杉山氏は日本バレーボール界のデータ活用と世界のバレー界におけるデータ活用の実態を説明し、リアルタイムに収集されたデータの分析が勝敗に大きく影響していると訴えた。

「スポーツの未来」セッションでは、スポーツへのかかわり方、あるいは将来のスポーツ観戦方法などに関してかなり面白い示唆が得られたのであるが、そこで「なぜ日本のプロスポーツは米国よりも市場規模が小さいのか?」という疑問がわいてくる。日本の国土や文化など諸説あるだろうが、筆者は長年確信を持っている仮説があるのであるのでここで紹介したい。

日本の国土の問題でスポーツできる施設(機会)が少ないということもあるだろうが、基本的に違うのは、日本は「学校の部活」で一年中同じスポーツに取り組むことが背景にあると考えている(もちろん、例えば「XX道」のように「道」が付くものは生活様式そのものを規定するものもあり、それ自身を全面的に批判するものではない)。

筆者が幼少期を米国で過ごした中では、部活は「シーズン制」だった。例えば、米国の運動神経の抜群な男子が選ぶ「部活」は秋:アメリカン・フットボール、冬:バスケットボール、春:野球ということになる。それらの「部活」は他のシーズンには学校ではやっていない。それらのスポーツは地域の大人も含むコミュニティが自分の子供が出場しているか否かに限らず土曜日などに観戦に行き、底辺を支えている。そしてそれは米国のスポーツ産業のベスト3に見事にマッチするのである。

また米国では短期間でチームが解散し、翌年また組まれるため学年ごとに違うスポーツに挑戦するケースも珍しくない。秋であればサッカーやテニス、冬であればレスリングやバレーボールといった選択肢がそれぞれあるのだ。したがって、中高時代で学生は最大3 x 6 =18の部活に触れる機会があり、それだけスポーツの体験やルールの知識を蓄えていくことになるのである。

スポーツ産業の規模は用具なども含まれるが、プロの場合には多くの場合には「観戦、放映料、ライツやグッズ」といったものになるだろう。スポーツの観戦や放映料に最も影響する因子は「ルールを知っている人口」である。米国では多くのスポーツに触れ体験し、家族で観戦しルールを覚えることにより各スポーツ産業の顧客となる基礎人口が飛躍的に多くなるのである。また、観戦人口だけではなく競技人口が多くなるのも当然ではあるが、個人も多くの競技を経験して自分の特性もわかり、相対的に他人より上手な競技が見つかるのである。

したがって米国はi) 累積のスポーツ経験者が多く、ii) 累積のスポーツ観戦人口が多く、 iii) 適正な競技者が選抜される可能性が高く、スポーツ産業が発展する土壌が存在するのではないだろうか?逆にいうと、日本はまだまだ経験者人口、ルール理解者人口、適正な競技を見つけた人の人口を増やすことが可能で、教育の中にスポーツの多様化を織り込むことでまだまだスポーツ産業を大きくできる素地が残っているといえるのではなかろうか。2020年に向けてスポーツ産業を大きくする素地はまだまだ大きいと考えられる。

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