コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

『GOOD LUCK!!』『逃げ恥』を生んだ大ヒットメーカーも15歳は「ぼんやり生きていた」(ゲスト:土井裕泰)【前編】

share

本日欠席の権八さんから土井監督へ熱すぎるメッセージ

澤本:2020年の後半から今にかけて、『罪の声』というめちゃくちゃ社会派な映画から、『花束みたいな恋をした』みたいな、見ていてキュンキュンするような映画まで……。すごい幅のある映画が続いて公開になっていますね。

土井:まあ、たまたま公開が続いたということなんですけど。色んなものをやらせてもらえるっていうのは、すごい嬉しいですし、楽しいですよね。

澤本:でも、本当に幅広いですよね。

中村:そうなんですよ。改めてプロフィールを見ると、手掛けているドラマが『愛していると言ってくれ』(1995年)『Beautiful Life~ふたりでいた日々~』(2000年)『GOOD LUCK!!』(2003年)『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)『カルテット』(2017年)。そして映画では2015年の『ビリギャル』……ってやばくないですか、これは。

澤本:ある種の熱狂的なフリークを生む作品が多いじゃない。『カルテット』とかさ。
『カルテット』はやっぱりセリフ。今回の(脚本家の)坂元(裕二)さんが書いていらっしゃったのもあるけど、演出とセリフがハマっていて。もうあれを見たっていうことだけで、一週間満足できるようなドラマだったし。

土井:『カルテット』のときは特にそうだったんですけど、観てくれた人たちが勝手に考察をはじめてくれるというか。「実はこういう意味があるんじゃないか」「あのカットには、実は隠されたこういう意味があって」とか。僕も無意識にやっていたり、気づいていないようなことも考察を生んで、観た人たち同士のコミュニティで盛り上がったりしていましたね。

今回の『花束みたいな恋をした』でも、同じようにみんなで考察をし始めていて、すごく面白いですね。特に今は双方向でダイレクトに観た人の反応をリアルタイムで見れる時代なので。そういう意味でも、長い事ドラマをやっていますけど、最近はお客さんの反応の仕方というか、受け取り方がすごい変わった感じがしますよね。

中村:そうですよね。そこで、実は『花束みたいな恋をした』に誰よりも感銘を受けたひとりの男がいまして。それが何を隠そう、今日休んでいる権八成裕というもうひとりの「すぐおわ」パーソナリティ。彼から非常に長文の手紙が届いていまして(笑)。ちょっと抜粋して読みますね。

土井:はい、ありがとうございます。

<権八さん手紙>
「土井裕泰さま。はじめまして、権八と申します。本日の収録を大変楽しみにしていたのですが、急遽参加が難しくなってしまい、申し訳ございません。残念でなりません。頭を整理しないまま今映画を観終わったんですけど、感想を。
 
いい年こいた中年がこんなことを言うと気持ち悪いんですが、前半のセリフのひとつひとつ、表情のひとつひとつ、空気感のひとつひとつ、気持ちの繊細な変化のひとつひとつがいちいち、『ああ、分かる分かる。麦くんはまるで自分だ。自分の26年前を見ているようだ』と思ってしまいました。
 
絹ちゃんの心の変化や互いがどんどん惹かれていくシーンの2人の気持ちが初々しく、瑞々しく、色んな瞬間が愛おしくて、キラキラしていて。何度も何度も涙を流してしまいました。お恥ずかしい。
 
そして後半、別れへ向かって、ドドドッと流れていくときは、『まあ、そうだよな、こういうもんだよな』と。これは実に冷静なクールな目で見ていました。これも何度も経験してきた、まるで自分のことですけど、前半とは打って変わって、やや客観的な、冷えた共感の連続でした。
 
観終わってはたと気が付くのは、『あれ? もしかして、ものすごく一般的な、ごく普通のありふれた、実によくある恋の話なんじゃないか?』ということでした。
 
これは、けなしているのではなくて。もちろん恋の始まりにおいて、あそこまで好きなものが一緒といった、そんな奇跡はなかなか起きないかもしれない。けれど、多かれ少なかれ、あんな感じで恋は始まるものだし、多かれ少なかれあんな感じで恋は終わるわけだし。
 
だから、おそらく観る人の誰もが共感して、『分かる分かる』となるだろうし、センチメンタルな気分になるのだなと……」

 
中村:これがまだ倍以上ありまして(笑)。

澤本土井:(笑)。

<権八さん手紙続き>
「主役の麦ちゃんと絹ちゃんの2人の恋はオリジナルで、唯一無二の奇跡のような恋であるはずなのに、同時に万人が『これは僕だ』『私だ』と思える普遍性を兼ね備えていて。そこがすごい、と思いました。すみません、語彙力なくて。優れたエンタメなんて、みんなそうじゃないかなと思うけれど、『花束みたいな恋をした』は、なぜか特にそう思ってしまう。つまり、唯一無二性と普遍性の両立感がすごい。
 
監督にちょっと質問があります。“花束みたいな恋”というのは、どういう意味なんでしょうか。いろんな解釈があるかと思いますが、賞味期限のある、当然美しいのは一瞬で、それは純粋な気持ちそのものであると同時に、何か虚飾や取り繕いでもあるもの。そして、花束は日本中、世界中で年中買われて、手渡されているもの。つまり、どこにでもあるありふれたもの、みたいなことなのでしょうか?
 
なにしろ、とても素敵な映画でした。どうもありがとうございます」

 
中村:まだあるんですけど、一回このくらいにしておこうかなと。

土井:とても抜粋されたとは思えないほどで。もう熱い!権八さん、ありがとうございます。

中村:元々熱い男ではありますけど、権八は。これは熱いメッセージ。

澤本:でもさ、「花束ってなんだ」って質問しているのに、自分で答えているよね、これね(笑)。

中村:そうですね(笑)。よほど感動したんでしょうね。

澤本:明かせないかもしれないけど、“花束”をどういうものだと思って見ていればいいものでしょうか?

土井:実は、『花束みたいな恋をした』というタイトルは、脚本の坂元裕二さんが考えたタイトルなんですけど、一度も坂元さんと「花束って何だろうね」という話をしたことないんですよ。だから僕は僕なりに、色んな人が色んな人なりに考えてもらえればいいなと思っているんですけど。さっき権八さんが書いていたことも、そうなんじゃないかなとも思いますね。

劇中にオダギリジョーさんのセリフで、「恋愛っていうのは生ものなんだ」という言葉があるんですけど。まさに恋愛も花束も生ものであって、いつか枯れてしまうものでもある。でも、そうやっていつか枯れてしまう、永遠に残らないものだからこそ、逆に記憶のなかではすごく美しく、いつまでも残るんじゃないかなみたいな。模範解答としてはそう考えていますけど、本当に観た人が勝手に思ってくれればいいなって思っていますね。

澤本:今の話を聞いただけで観た方々のなかでも、納得感はすごく強いと思うし、自分の考えたものが正解に近いんだったら、それでもいいと思います。

土井:あとは、前半は、ほぼ日記のように2人の取るに足らないような1日1日の出来事、エピソードを積み重ねていく映画で。一つひとつの出来事はささやかですけど、それを積み重ねたことによって、束ねられるとひとつのある形が見えてくるというか。そういう意味合いもちょっと思いながら、設定していました。

次ページ 「大ヒットメーカーたちが15歳だった頃」へ続く

Follow Us