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コラム

これからのマーケティングはクロスカルチャーだ! ―日本人マーケターが世界で価値を伝えるには?

外資系広告代理店マンを経て、職なし、コネなし、カネなしのシドニーで起業

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「アドタイ」読者の皆様、はじめまして。オーストラリア・シドニーを拠点とするクロスカルチャー・マーケティング・エージェンシー「doq Pty Ltd(以下、doq)」の代表を務める、作野善教です。

このコラムでは、日本、アメリカ、そしてオーストラリアと異なる国でいずれもグローバル市場のマーケティングビジネスに携わってきた自身の経験をもとに、日本人および日系企業が海外でマーケティングを展開し、世界で価値を伝えるためにお役に立てていただけるようなポイントをお伝えしていきたいと思っています。

私たちの会社名「doq(ドック)」は英語のdock(桟橋)を起源にして作りました。桟橋には船が寄港し、世界中から人と物が集まり日々流れていく、いわば異なる文化やアイデアが混ざりあう場所です。

桟橋のように、日本とオーストラリアはもちろん、世界がつながり、まざり合う場所を作っていきたい、また広告・マーケティングを通じて日本の魅力を海外に伝えていきたいという想いからつけたもので、創業6年目の2015年以降doqのオフィスも桟橋の上に構えるようになりました。

doqのシドニー本社がある桟橋、Jones Bay Wharf。doqではこれまでに観光、食・文化、映画、製品、サービスまで、日本のありとあらゆるブランドのオセアニア地域を中心としたマーケティング企画立案と実施管理を手がけている。

初回のコラムでは、自己紹介もかねて、私が海外のビジネスに興味をもち、マーケティングを手がけるまでに至った経緯をお話しします。

僅かな貯金が恐ろしいスピードで消えていく 一杯のコーヒーを買うのにも躊躇した日々

幼少から高校卒業までサッカー漬けの生活を送っていた私がそもそも海外での仕事に興味を持った大きなきっかけは、立命館大学在学中に参加した吉本興業のインターンシップ・プログラムでした。業務内容は、外国人アーティストの来日公演を手伝うというものだったのですが、その一連の業務を通じて「日本と世界をつなぐ」ビジネスの面白さを肌で感じました。

その後、外資系広告代理店ビーコン・コミュニケーションズに入社。アメリカ人の上司、同僚、多国籍なクライアントとプロジェクトを遂行する中、日々慣れない英語でのコミュニケーション、プレゼンテーションに揉まれる一方で、忖度なくアイデアや意見をぶつけ合う彼らの風通しの良さに魅力を感じ、本場の空気に身をおいてみようと、2005年28歳の時に米国本社であるレオバーネットに転籍しました。

レオバーネット在籍中はヨーロッパに本社があるクライアント、いわゆるブルーチップブランドの欧州、南米、アジアパフィシックの市場展開の戦略立案を担当し、出張で各国を駆け巡りながら、まさにTVシリーズのMadmanのような広告代理店マンとしての日々をこなしていたのですが、2008年12月にレオバーネットを退職し、シドニーに移り住むことになったのです。

移住の理由は一言で言うと「家族愛」でしょうか。妻がオーストラリアのパース育ちなのですが、米国に移る際、彼女は日本での仕事を辞め、何の縁もないシカゴについてきてくれました。その後、今度は彼女がシドニーでのポジションを獲得し、彼女の家族もパースに住んでいたため、今度は私が彼女の気持ちに答えるためにオーストラリアに移住することを選んだというわけです。

2009年1月7日、世界一長いフライトと言われるニューヨークから飛行機に乗ってシンガポール経由でシドニーに来たのですが、飛行機に乗ったときにもう後がないなと…..。その時の心境はよく覚えています。絵に描いたように順調に構築したアメリカでのキャリアも辞めた、職もない、コネや友達もシドニーには全くいない。ご飯も食べましたし、映画も観たのですが何も手につかない。この国で今後自分はどうなるんだろうと。

ただ、せっかく見知らぬ土地に来たのであれば、これまでに培ってきた経験をもとにゼロから新しいチャレンジをしてみようと奮起し、シドニーにきて半年後の2009年6月に自宅のベッドルームからdoqを立ち上げたというわけです。

その決断の背景には、私が阪神・淡路大震災の被災者であることも関係しているかもしれません。当時私は高校2年生だったのですが、一夜にして街の景色が変わり、少なくない数の友人・知人を失い、これまで当たり前だと感じていた生活が、決して続くわけではないと知った実体験はいまでも強く心の中に残っています。同時に、いつ途切れるかわからない人生の中で、悔いのないチャレンジをしていこうという私の行動原理となっています。

ということで、志高く起業したものの、現実にはお金もないし、コネもない。米国でのサラリーマン時代の僅かな貯金も恐ろしいスピードで消えていく。コーヒー文化が根付くオーストラリアで、一杯のコーヒーを買うのにも躊躇し、コーヒー・マシンを買ってそれを大事に使いながら、しばらくは妻が職場から帰ってくるのを心待ちにするような生活をしていました。

doq設立当時。自宅のベッドルームを仕事場に日本とアメリカにいる創業当時のメンバーとスカイプ。

 

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