48歳のピボット・ターン 〜広告会社のCDが、テックベンチャーに入ったら〜
原田 朋(スマートニュース株式会社 社長室 エグゼクティブ・コミュニケーション&クリエイティブ・ディレクター)
1996年博報堂入社、コピーライターからクリエイティブディレクターへ。2010年TBWA\HAKUHODOへ出向、2013年から1年間ロサンゼルスのTBWA\CHIAT\DAYに滞在しアドタイコラムを執筆。2016年quantumへ出向。2018年博報堂帰任。2020年12月より現職。企業広報・PRとブランディングの融合が強み。1999年日経広告賞グランプリ。2012年JAAAクリエイター・オブ・ザ・イヤーメダリスト。2013年日本PR大賞。2014年カンヌライオンズPR部門審査員。
このコラムについて
2020年末に博報堂統合プラニング局から、スマートニュース社長室へ転職し、企業PR・企業ブランドを担うクリエイティブディレクター原田朋氏が、転職最初の数カ月を体験記として綴るコラム。広告会社で身に付けたクリエイティビティは、事業会社(それも、ユニコーンと呼ばれるテックベンチャー)でどう生きるのか? 事業会社に転職したCDにかけられる周囲の期待とは?広告会社/事業会社の両者の視点を備えることで見えてくることは?入社数カ月の新鮮な視点で、現在進行形でレポートします。 広告会社のCDが、事業会社の中に入りコミュニケーションやクリエイティブを担っていく流れは、数年前から顕著になっています。40代・50代のクリエイターにとっては、新しいキャリアパスのヒントになるはずです。
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2020年末に博報堂からスマートニュースに転職し、同社の企業PR・企業ブランドを新たに担うことになったクリエイティブディレクター、原田朋氏による新コラムがスタートします。