コラム

48歳のピボット・ターン 〜広告会社のCDが、テックベンチャーに入ったら〜

広報と映像を同時に手がけた3週間。震災体験に耳を傾ける社内イベントの話

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【前回コラム】「起案して29時間でプロダクトローンチできた話」はこちら

この社内イベントは平日昼間にやろう

「僕やります」と、自分からムービー制作担当を申し出た。博報堂からスマートニュースの広報に転職する時、ムービーの仕事は大好きだけどしばらく手がけられないだろう、と覚悟していたのだが、こんなに早くやることになるとは。社内イベントの実行委員会に参加することになり、その打ち合わせの最中、冒頭にムービーを流せるといいね、という話になったので、自分が一番貢献できることだと思い、申し出た。

東日本大震災からちょうど10年。3652日目と3653日目にあたる3月10日と3月11日に、社外のゲストスピーカーをお招きして、震災について考える社内イベントをやろうということになった。あの日、まだスマートニュースというアプリも、会社も、存在していなかった。もし今、あるいは近い未来に、あの規模の震災がもう一度起こった時、ミッション「良質な情報を必要な人々に送り届ける」を持っている私たちは、どのような情報をどのように伝えるべきなのか?当事者意識を持ってより深く真剣に考えるためには、様々な人の視点からの被災体験を知ることが必要だった。社会課題に向き合うのはスマートニュースの仕事だから、参加はマストにしないけれど、平日昼間にやろう、ということになった。仕事や業績を伝えるイベントではなく、10年前の震災を振り返るイベントを、平日の昼間にやれる会社の一員になれたことが改めて嬉しかった。

あの震災の日。駆け出しクリエイティブディレクターとして仕事をしていた自分には、今も相当の後悔がある。この場で打ち明けさせてもらうと、私は仕事を止めることができなかったのだ。会議のために博報堂へ向かうタクシーの中で地震にあった私は、そのまま博報堂へ向かった。1Fのロビーには、就職活動で博報堂を訪れていた学生の方々がたくさんいて、人事局の担当者が学生さんたちに呼びかけ、その日の対応を話してらっしゃった。確か、エレベーターは止まっており、私は階段を昇って14階の会議室に入った。電話がつながらない中、Twitterで連絡をとった記憶がある。チームがなんとか集まってきた。金曜日だった。週明けに、大きなクライアントの大きなプレゼンが予定されていた。集まったメンバーの中には、今すぐ帰りたいと思っていた人もいただろう。テレビをつけて、だんだん東北地方の被災状況が明らかになってきても、私は、もしクライアントがプレゼンして欲しいと言ってきたらどうしよう、と考えると、打ち合わせをやめられなかった。冷静に考えてみれば、週明けにクライアントに言えばプレゼンの一つくらい延期できたはずなのに。それが、私の被災体験。二度とはあんな判断はしない。今回、積極的にムービーをつくりますと立候補したのは、心の奥に行ってしまってはいるがトゲが刺さったままのような感覚に対して、何かしたいという気持ちもあったかもしれない。

そして先日の3月1日。僕はムービー撮影に立ち会っていた。イベントのオープニングムービーの企画を考え出したとき、社内用だしニュースの会社だから、あの日のニュース映像をつなごうか、とも考えた。でも、強い映像であればあるほど、みんなが知っている震災をなぞるだけの、お決まりのものになるような気がした。それでは何も発見がない。最終的に決めた映像企画は、スマートニュースの社員一人ひとりのあの日を語ってもらうドキュメンタリーだった。ムービーの企画を決める前に『今、3.11を聴く』というイベントのタイトルを書いた。個人的に、SNSで誰もが発信できて、書くことや伝えることにみんなの意識が向きすぎている気がずっとしていた。発信する前に、受信することを。書いたり話したりする前に、人の話や気持ちを聴くことを。大事にしなければならないんじゃないか。だから、まずは社外の様々な方の話に、そして、社内の様々なメンバーの話に、耳を傾けよう。そんな気持ちを込めたタイトルだった。何度かの実行委員会の打ち合わせで、社外スピーカーの方々が決まろうとしていた。私は社員の声を聴くパートを、ムービーの形でつくろうと思った。

 

次ページ 「スマートニュースが存在しなかった、あの日の自分に戻る」へ続く

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