コラム

48歳のピボット・ターン 〜広告会社のCDが、テックベンチャーに入ったら〜

広報と映像を同時に手がけた3週間。震災体験に耳を傾ける社内イベントの話

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スマートニュースが存在しなかった、あの日の自分に戻る

事前アンケートを送った中から、強い言葉を持っていた社員の方々を選び、13人にカメラの前であの日の体験を話してもらった。いわば、10年前に戻ってもらった。10年前はスマートニュースの会社もアプリも存在しなかったし(2012年創業)、当然みんなスマートニュースの社員ではない。だから、別の会社の社員だったり、主婦だったり、大学生だったり、フリーランスだったりした自分に戻ってもらい、あの日を語ってもらった。出来上がったムービーには、その時いた場所と社内Slackのニックネームは入れたけど、あえてそれぞれの部署名は入れなかった。できるだけ「スマートニュースの社員であるその人」をはぎとろうと思った。私たちはすぐに人をラベリングしがちだ。そのラベルを元に話を聞いてしまう。できるだけ、職種も階層も関係なく、一人の被災者としての生の体験や思いに耳を傾けられるムービーにしたかった。

就職活動の真っ只中だった人。バイト先でシフト前に飲んでいたコーヒーがゆれた人。働いていた名古屋に、東京の人がたくさん避難してきた人。震災や原発事故が起こる前から、6月に海外に行く予定になっており、自分だけ日本を離れていいんだろうかと戸惑った人。情報が錯綜し混乱する中、お子さんを連れて東京を離れた人。岩手の海沿い、宮古市の高校生として、教室から近くの川に黒い波が逆流してくるのを見た人。

仕事の打ち合わせでファミレスにいて、そこから揺れる首都高を見た人。瀬戸内海に遊びに出かけており、夕方テレビをつけるまで東京の実家が被災したことを知らなかった人。お母さまと一緒に、お祖母様を介護していた時に地震がきて、どうやって二人を家から逃そうか、オムツが店からなくなるのではないか、と考えた人。お子さんが2カ月前に生まれたばかりで、産休中だった人。前日まで仙台に遊びに行っており、前日に飛び立った仙台空港が津波で流される映像を見て、なぜ、自分が助かり、多くの同世代の少年青年たちが死んでしまったのか、という巨大な問いを心に持ち続けることになった人。

すぐれた報道番組やドキュメンタリーのおかげで、私たちは甚大な被害がでた被災地の方々の体験を聞いている。その一方で、そこにいなかった自分の震災経験については、自分の話なんて大したことじゃないし、語るようなことでもない、と思いがちだ。でも、家族や友人たち、そして社員同士で語り合うことには、意味があるのではないだろうか。当日、ムービーを流した後に、社員が少人数同士で語り合う時間がつくられた。私のグループでは、会社から自宅まで歩いて帰る途中、革靴が痛くなって道路に座り込んでいた人に、持っていたミルクティーをあげたという話を聴いた。その人は、阪神淡路大震災を経験していたので、日頃から地震に備える意識があり、もしもの時のために会社に置いていたスニーカーに履き替えて帰ったという。革靴は、平和な時だからこそ履けるものなのだ。

 

次ページ 「その時が来たら、私たちは何をするべきか」へ続く

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