コラム
編集・ライター養成講座修了生が語る いまどきの若手編集者・ライターの生き方
インターネットの普及によりメディアが急増し、世の中を流れる情報量が爆発的に増えた現在、人々の目に留まる優れたコンテンツを作り出せる優秀な編集者やライターがますます必要とされています。
そんな時代に編集者やライターを志望する人たちが数多く学ぶ編集・ライター養成講座を受講し、その後プロとして活躍している若き編集者・ライターたちの姿をこのコラムではお伝えしていきます。
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第15回そのことは書きたくなかった――だけど多くの人と繋がれた【前編】
新卒で編集プロダクションに入社、その後マーケティング関連の雑誌や書籍を扱う出版社に転職。講座に通いはじめたのは、2社目の出版社で自分の力不足を感じ「編集者やライター」の仕事をきちんと学んでみようというのが動機でした。 -
第14回10年読み続けた雑誌の編集部ではたらく【後編】
寄せられた声を誌面に拾い上げることで、当事者の胸のつかえが少しとれたり、同じように秘めた恋をする人が「自分だけじゃないんだ」とホッとしたり、そんな出来事に繋がれば嬉しいのですが……。そしてもちろん、当事者ではない読者にも「こういう恋愛もあるのか」と驚いてもらいたい。 -
第13回10年読み続けた雑誌の編集部ではたらく【前編】
企画を考え、取材を申し込み、ライターやカメラマンを手配。取材現場にも同行します。原稿を受け取ったら内容を整理し、タイトルを考える。それが終わればデザイナーにレイアウトを相談。ハッと気がついたら「あ、もう21時か」という感じで、慌しくも充実した毎日を送っています。 -
第12回編集者・ライターの仕事は、「自分だけの仕事」を見つけることだと思う。<後編>
4年前のある日、突然「海士町というところで音楽祭をみんなでつくるから君も来ないか?」と、友達に誘われて、どこにあるのかも分からないままに連れていかれたのが島根県の隠岐諸島・海士町であり、『僕たちは島で、未来を見ることにした』の著者、株式会社巡の環・阿部裕志・信岡良亮との出会いでした。 -
第11回編集者・ライターの仕事は、「自分だけの仕事」を見つけることだと思う。
この世にたったひとつでいい。自分だけの仕事があるということ。それが僕にとっては、最高の幸せだと思います。1篇の偉大な小説も、1本の高名なシャンパンも、そこにこの世でたったひとつの、「自分だけの仕事」があったからこそ生まれている。僕はそれに続きたくて文章を書く仕事をしています。 -
第10回ヒーローの多くは(まだ)無名だ【後編】
2011年、日本の社会人ラグビーリーグ「トップリーグ」で初めて、通算出場数100を迎えた選手が生まれた。一方、同試合が初出場となった選手もいる。初仕事と節目の仕事。どちらも等しいチャンス、等しい時間を与えられた上での結果だ。だからラグビーは、彼らを等しく祝福する。 -
第9回ヒーローの多くは(まだ)無名だ【前編】
Most heroes are anonymous.——1990年代、ナイキはテレビCMなどで、スポーツを楽しむ一般市民を無名のアスリートとして映し出す広告を展開した。しかし、プロの現場ですら、このダン・ワイデンの名コピーさながらに、“匿名の”ヒーローたちがいる。彼らのためにこそ、ライターが必要だ。 -
第8回「我々の過ごした1年間が映っていたよ。ありがとう」 ――被災地で伝える側に立った <後編>
「編集・ライター養成講座 総合コース」と、同・上級コースを連続受講した岸田浩和さん。東日本大震災から3カ月を迎えた、宮城県石巻市。日本最長の水揚げ岸壁を持つ石巻漁港には、不自然な角度で陸に乗り上げた漁船が横たわっていた。 -
第7回「レンズを伏せるのは、撮るな言われた時だけや」――被災地で伝える側に立った<前編>
「編集・ライター養成講座 総合コース」と、同・上級コースを連続受講した岸田浩和さん。講座修了の翌月に発生した東日本大震災を受け、東京からいきおい、新調した一眼レフカメラを抱えて被災地へ向かう。「どうしたら伝える側に立てるのか」とやって来たものの、初めての取材現場で完全に萎縮(いしゅく)してしまっていた。 -
第6回実験を、しよう。【後編】
フリーライターと聞けば、自分の書きたいことをひたすら追求しているものだと思われがちだけれど、全てのライターがそうではないはずです。ライターも人間だし、いろんなタイプの人がいて、それが記事や本の多様性を生み出しているし、いろんな関わり方ができる職種だ。